スローループ37話を起点として読み解く海凪小春という人物

先月36話を一読した際、ボクは確かに言いました。
「いずれもう少し詳細に見られるであろう嘗ての海凪家における過去を待つ」と。
でもね。

このタイミングで小春と一誠さんの過去を見せてくると思ってた読者なんていったいこの世界に何人いる?????
今回はひよりの誕生日を描くんだろうと予想されていたハズが、気づいたらすれ違いざまの横っ腹に何発右ストレート食らわしてきた?????????

実際前回の小春が見せた言動や、今回は冒頭から小春寄り視点だったことを考慮すれば、まあ不自然さはない流れかなと……感じるは感じるんですが。ですが。
なーんで小春はまた、よりによってここで自らの過去を思い返したかなあ……

……とにかく誕生日のお話はまだまだ続くのだと思っておきます。どうやら今回自体、前回36話の釣り初め (1月3日) を受けた流れになっているようですし。
次回がこの予想通りだった場合、おそらく恋ちゃんも含めた3人が集まるであろう場で、小春→ひよりの描写としても今回思い出した過去を踏まえて更に踏み込む1ステップがあるものと展望しつつ。

それに備えて今回の記事では、小春がどのような性格形成を遂げてきたか分析してみようかと。

他人の笑顔を優先し、そのあまり時に自分の笑顔を軽んじる小春

37話初見の後、改めて1話から小春重点で読み返していたのですが。
今回非常に印象的だった、小春の「パパには幸せになってもらいたいもん」という発言。
あるいは一誠さんが再婚へ向かうに当たり引っ越すかも、となった際の「いいと思う!私高校は特にこだわりないし」もそう。

これ、相似した文脈での発言が今までも驚くほどあったことを今にして気づきました。

2話の時点で、知らない街で暮らすこととなった小春を気にかけるひよりに「ひよりちゃんのパパの部屋……私が使ってもいいのかなって……」とか。
4話、テンションが上がり釣果も良かったひよりが小春を放っておいたことに「いいの……ひよりちゃんが楽しければそれで……」とか。
7話では、「私のせいでひよりちゃんの釣りの時間が減っちゃってるのが申し訳なくて……」とか。
14話でも、一誠さんひなたさんが結婚指輪をしていないことに「気〜使ってるのかな〜使わなくていいのにな〜」とか。
他、その場の雰囲気が暗くなるのを察知すると不思議な話の逸らし方をする場面も複数あったりとか。
そしてやはり、現時点の既出回でこの側面が最も表出していた19〜21話は外せません。「笑ってる顔しか見ない」ひなたさんの話で落ち込むひよりに新たな話題を振ったり、風邪から快復すれば「なんかみんなに迷惑かけちゃって……明日はいつも通り元気になるからね!」などなど。
これだけの描写が散々なされていたことに、改めて驚愕する次第です。

こうなったのはなぜか。ヒントがあるとすれば2点。
1点目は言うまでもなく、親として小春を見守ってくれる一誠さんの存在です。特に母親と弟を失ってからは、ただ一人で小春の面倒を見ていたことになる。それゆえ小春は、必要以上に世話をかけていられない、自分のことは自分でして寧ろパパの助けになりたい、くらいには考えていても不思議じゃない。
2点目は、小春自身が病弱だった過去。これは直接的描写がないので考察の水準には達しない推測ですが、そもそも入院を繰り返して家族のみならず医者や看護師の手も借りなければならなかったたような人物が、自分と異なり常に外で過ごせる他者を見たら、たとえそれが子供であっても多かれ少なかれ自身とその他者を比較し、罪悪感を覚えてしまう……といった思考過程があるのもおかしくない。
1点目だけでも充分と思いつつ、個人的には現段階で別視点として2点目の可能性も視野に入れています。ま、2点目は勘違いであっても仕方ありませんが。

自分のもつネガティブな思いには蓋をする小春

前項を自己犠牲と表現するのなら、こちらは自己暗示に近似する心理状態でしょうか。
即ち自身の苦しみに見て見ぬフリをし、自分にある感情はポジティブなモノだけだと思い込む姿。 Twitterでも少し言及しましたが、「私はもうじゅうぶん幸せだよ!」と何度も自分へ言い聞かせているようにしか見えない回想の小春は、はっきり言って個人的に恐怖すら覚えるほどでした。
「少し憧れた その子(=ひより)も土屋さんも 私が出せない感情を出せることに」と内心を語るP49-3、中身の見えない釜を炊飯器へ戻し、まさに蓋をする場面が非常に印象的。

これに並ぶ既出描写は7話、あれほど寂しがりな小春が一人で夕食を取っていた際の「私は大丈夫」が最たる例と言って良いでしょう。ボク自身、既に充分評価要素の多々あったスローループへ惚れ込むダメ押しとなった描写です。それこそ脳の記憶領域が丸ごと燃え尽きでもしない限り忘れない。

加えて小春本人の描写ではないものの気になるのが、5話においてひよりが肉親を亡くした小春の過去に触れて「たくさん泣いたに違いない」と想像した点。
このポイントについて言うと、今回から察するに小春は悲しみを押し流せるほど泣くことができなかったのではないかと勘繰るところ。
正確には「泣いていられる猶予すらなかった」と予想しています。突然ってつまり、そういうことですからね。
ボク自身28話感想の追記にて、3人は皆「少しイレギュラーな道筋で成長していっただけ」とした中で、最も過酷なイレギュラーに見舞われたのが小春だったのでしょう。

そしてその傷は、小春自身深い人間関係を築いてこられなかったために、より重篤となってしまいました。
良くも悪くもとかく空気を読みまくる小春のコミュニケーションスキルがどこで磨かれたのかまだ定かではありませんが、中学時代となれば少なくとも既に肉親を亡くし、なるべく周囲に迷惑をかけないよう過ごしている時期のハズ。
挙句その時点の小春には、(入退院を繰り返していたせいもあってか)ひよりにとっての恋ちゃんのような、支えになり得る幼馴染や親友さえいなかった様子です。
この有様ではネガティブな思いに向き合ってなどいられないでしょう。土屋さん曰く「ヘラヘラして」いたのも納得するよりない。

この側面については、どのようにして性格形成されてしまったかを示してくれる確たる描写がまだないようです。
「嫌われたくない」ことだけが21話に続いて強調されているものの、肝心要は「なぜ嫌われたくないと感じるに至ったか」または「小春自身性格が良くないと自己評価する原因は何か」。
ボク個人としては、ここに肉親の死が最も大きく響いているのだと憶測を立てていまして……
まだそれ自体やや飛躍があり、また小春自身も蓋をしているだけにそこまで心の底が見えてくるには相当な時間を要するであろうため、本記事に記述は残しませんが、はてさて……

ひより曰く「何でもすぐ口に出す」小春

この側面はひよりから見た視点でしかないので客観的描写とは言い切れませんが……

実際これまでボク自身、表情豊かに自分のことを話し、ひよりや恋ちゃんらから置いてけぼりを食らえば露骨に不機嫌さを窺わせる小春が、7話や今回における回想のような折に不満も不安も全く零さず我慢一辺倒となっていた、その事実についてどう扱うべきか苦慮していたのは確か。
で、仮の解答としては結局のところ、我を出してはいけないと判断ないし直感する(過度に厳格な)自制心のオンオフが何らかの外的要因により切り替わってきた、とする説へ落ち着いていました。
これもまだ確たる描写に至ってはいないものの、21話回想時点でワガママな程度に我を出していた小春が、肉親を喪ったことで遺された一誠さんを更に慮るあまり我を出さなくなった、という流れは成立します。

そうするとこの場合、再び我を出せるようになった要因は何だったのか。
ひよりとの出会いがそれだったのかな、とこれまで予測していましたが、ひょっとすると前段階として、土屋さんとの出会いが同じくらい大きく影響していたのかもしれません。

前提として、21話以前と22話以降については前述の「自己犠牲」「自己暗示」に当たる描写の数に歴然の差がありました。
(ボクのカウント通りなら、22話以降この2点のどちらかに該当する描写は両方とも0。読み零しの可能性を考慮しても、これほど分かりやすく変化しているのを無関係と考えるのは非現実的なハズ)
この大きな変化を与えた理由があるなら間違いなく、21話初出で今回も引用された「つらい時は弱音吐いていいし 悲しい時は泣いていいよ」というひよりの言葉でしょう。
この言葉をかけられた時、小春の表情は心なしか上の空になっていました。蓋をしていて忘れかけていただけで、自分にもつらさや悲しみがあったのかもしれないと思い出したかのように。

今回、これと符合するシーンが存在していました。
回想において「悩みのない人間なんているわけないじゃん」と吐き捨てた土屋さんに対し、やはり上の空な表情へと変わったP44-1の小春。
その時点で小春が土屋さんと腹の底を打ち明け、打ち解けた描写はありません。しかし一介のクラスメートからであれ悩みのない人間などいないと語られた小春は、実際問題土屋さんへ感謝を述べていました。
そのくらいには、何かが小春の中で好転した線も大いにあるでしょう。
特に「わかった気になってしたり顔で語る」中学時代の同級生について「さみしかった」と感じていた点は大きい。恋ちゃん曰く「臆面もなく踏み込める性格」となった背景があったとしたら、自らが抱えるハズの悩みを再認知し、自身の出せない感情が出せる土屋さんに憧れたこの出来事により、自分と似た境遇の人へ理解を示すようになる決心をしたとも考えられます。

さて、ここからは更に根拠の乏しい推測を。
自分を幸せだと思い込み、空気を読みまくっていた中学時代の小春。
果たしてこんな小春が、下手をすれば相手を本気で怒らせかねない、1巻当初で見られたような言動をするでしょうか。
よもや小春は、土屋さんの無遠慮な物言いまでを(やや曲解しつつ)リスペクトしている節があったのでは?
……なんて想像も、ちょっとしてしまうところ。

とは言えこれ自体も、多分曲解だろうなあ。

今の小春

結局小春の根幹がどこにあるのかは、ボク自身ここまで書いてもまだイマイチ見定められていません。
快活で忌憚のない一面と、おとなしく空気を読みまくる一面。どちらが元来の性格であるかさえ、はっきりしないままなのです。
読み零しがないのだとすれば、あまりにも描写量が絶妙と言わざるを得ない。
まあ懐が深いのが本作の強みの1つでもありますし、あまりはっきり明示はされなくても良いと思う節もあったり。
とは言え、母親と弟の死に纏わる真相や、それを経た小春のイレギュラーな成長などは、もう少し描写が欲しいところ。

そして最後に、これは改めて既出のエピソードを総攫いしている中で気づいた点なのですが。
前述の4話、ベテランたちに放り出されても「いいの……ひよりちゃんが楽しければそれで……」と涙混じりに語っていた小春は、前回ラストで眠りに就いていたひよりへ「釣れたほうがやっぱり楽しいね」と語りかけていました。
小春の性格がどのように形成されていたとしても、幸せの自己暗示をかけていた頃より前を向ける今があるのは確かなようです。

Written on August 24, 2021