その交友は日々少々深まっていく:『ぎんしお少々』が切り撮る日常と思い出の1コマ1コマ

一緒にいるのがいつも当たり前だった、2組の姉妹。

1話より

もっと広い景色を見るべく足を進めたら、彼女たちの前には新しい出会いが待っていた。

5話より

2人と2人の出会いが交差する時世界はより色づき、その中で4人は大切な人への思いをまた新たにする。

5話より

今見ている光景をカメラに収めて、皆と共有し合いながら。

12話より

そう気づいたら、きっと離れていても大丈夫。
思い出をその手へと残し、見返す度に蘇らせることができるから。

1巻表紙

それが『ぎんしお少々』。

まんがタイムきららで連載中。フィルムカメラとそれによって生まれた人と人の縁を丹念に描く物語。
その1巻が出るのに合わせ、今回は本作の紹介記事を書こうと思います。
例に漏れずネタバレの類もある程度含みますが、ボクがこうしてはっきり紹介と謳う作品はネタバレをしても実際に読む時の感慨を損わないほど懐が深いのでご安心ください(N回目)。
試し読みはきららWebまたはニコニコ静画内きららベースよりどうぞ。後者では最近追っかけ連載が始まったようで、現在3話まで読めるそうな。
そして本エントリはこれまでの紹介記事と同様、本作を初めて知った方も、既にご覧になっている方も有意義と感じられる記事にするつもりで書いていく所存です。

あらすじ

言葉が足りずどこか誤解されがちなカメラ少女のもゆる。物静かでコミュニケーションが不得手な美少女の銀 (しろ) 。
写真を撮りたい (お近づきになりたい) もゆると、拒む銀。
それとは対照的にお互いの姉同士は偶然の出会いから急速に仲良しに!?

まんがタイムきららWebより

少々分かる……かもしれない登場人物紹介 (1巻時点におけるメインの4人について)

  • 塩原もゆる (しおはら - )
    春から東京にある高校の1年生。姉の影響で手にしたフィルムカメラを、常に持ち歩いて可愛がる。
    積極性と行動力が高めの口下手で、ややズレがちな言動が間の悪さやら何やらで余計に誤解を招いてしまう場合もしばしば。姉が離れて暮らし始めたのを寂しがっている。

  • 藤見銀 (ふじみ しろ)
    春からもゆるとクラスメイトの高校1年生。写真を撮らせてほしいともゆるに狙われるが、押しの強いもゆるや写真を撮られること自体に抵抗感をもっている。
    積極性と行動力が低めの口下手で、対照的な性格である双子の姉とは基本良好な仲でありつつ、同時に屈折した羨望を抱いてもいる。そしてそんな姉が離れて暮らし始めたのを寂しがっている。

  • 藤見鈴 (ふじみ すず)
    銀の双子の姉。春から東京を離れて転勤する父親についていき、知らない土地の高校に入学した1年生。彼女もまたフィルムカメラの存在を知り、その魅力に虜となっていく。
    積極性と行動力が高めの口上手。妹を大切に思っており、離れて暮らし始めたのを寂しがっている。

  • 塩原まほろ (しおはら - )
    もゆるの姉。春から社会人1年目で、新天地にて鈴のお隣さんになる。もゆるや鈴がカメラへ夢中になるきっかけを生んだ張本人。
    比較的ダウナーながらもゆるや鈴に対して年長者らしく気を回す良いお姉さん。もゆる曰く、優しくてちょっとだらしないけど面白く、人付き合いは割と悪くて寂しがりである。

ゆったり映される1つひとつのコマと、ふとした仕草や感情などを大切にする話運び

本作について真っ先に指摘したいのは、1コマ1コマが写真映えする作品である点。
これは漫画として、あるいはその中のジャンルたる4コマ漫画として、またあるいはカメラを題材にする作品として、本作はそういった土台の魅力を非常に重要視していることを示すモノです。
似たような表現で言えば「絵になる」が上げられるでしょう。作品によってその意味も様々ですが、本作では登場人物の自然体を映し出す側面を強くもっています。

3話より

3話より、藤見姉妹が風呂入りながら歯磨き。いやたまに現実でもそういうのあるけど。
……本作でも多々見られる、登場人物が作中世界でどのように生きているのかを印象的に示す光景であり、加えて少し前まで揃って実家に住んでいた2人が、離れて暮らし出しても日常生活を営みながら当たり前のように周囲での出来事を知らせ合っている面も多分に含んでいます。

5話より

あるいは5話。学校から駅への帰り道にて、写真を撮りたがる側のもゆると撮られるのを警戒する側の銀。
歩く姿という動きを静止画2つで捉えながら、これがこの時点における2人の距離感なのだと感じもさせるシーンです。
題材はカメラを、シナリオは登場人物とその関係性を。二者を絡めて自然とセオリーに則りつつ、カメラへ収められる1シーンのようなありのままの姿を描いています。

9話より

またあるいは9話 (ここはもゆるさんも銀さんも特に可愛いですね……) 。
不意に写真を撮られた側である銀の表情はもちろん、撮った側のもゆるが見せる姿も大切に次のコマで描きながら、2人の間に流れる沈黙の “間” を演出しています。
本作はこうして登場人物の表情、感情、仕草、やり取り、全てが結びつき、多面的な魅力を伴い映ってくるのです。

手を変え品を変え作劇で活きる、勘違い・すれ違い・行き違い

実在する某コント芸人2人組のコンビ名を取って言及される場合もよくある、勘違いなどのネタ。
登場人物の生きた発話も至るところに見られる本作では、熟慮やら主語の省略やら何やらで自然と思い込みによる認識の違いが発生し、件のコントネタを彷彿とさせる展開もしばしば見られます。

3話より

もゆるの口にした「すぅちゃん」を、銀が鈴の仇名と勘違いしての一幕。
こんなきっかけで (もちろん当人たちにとっては重要だからなのですが) 2人の距離は縮まるどころか却ってぎこちなくなったり。
日々お互いの素性に対する理解度を上げながらも、また新たな勘違いが発生していく。その展開をコメディアスに描くのも、本作の魅力の1つ。

そうかと思えばこのようなすれ違いや行き違いは、ただ明るくコミカルなだけではなく憂いやアンニュイさを帯びた人間関係にも深く根を張っています。
長期的に見ても登場人物は皆、周囲の人物評としてそれぞれ異なる認識を垣間見せており、別の登場人物からなされた評に対しギャップを感じる一幕もしばしば。
とりわけ銀が鈴に関して「鈴が鈴自身の望む行動をする上であまり自分の存在を意に介さなくなってきている」と思い込んでいた部分は作中の時系列で1話以前から続くすれ違いであり、この点の解消は1巻において大きな転換点の1つとなっています。

写真を撮ること、見せ合うこと、それらは即ち心を通わせること

もゆると銀。鈴とまほろ。2組はカメラを通してそれぞれ別々に親交を深めていきます。
鈴とまほろが距離を縮めたのは、鈴のコミュニケーション能力あってこそ。

10話より

そんな2人は10話において、同じベッドで一夜を明かすほどの仲になってしまいました。
……ここについては実際のところ “そういう意味” ではありませんが、寂しがりな2人が同じ時間を揃って過ごすようになった事実は、双方へ良い影響を与えているようです (しかしまあまほろさんの表情が満足気だこと) 。

更に鈴がカメラへと魅かれ、まほろとの交流を始めた背景には、銀の存在も深く関わっていました。
実家へ置いてきた妹を強く気にかけ、彼女のためにも写真を撮っていく鈴には、「2人が一緒に楽しむ」ことを大切にするきっかけとなった、姉妹の間における思い出があります。
写真を撮られるのに抵抗があった銀は、姉が今でもその思い出を覚えていると知って、スタンスを少々改めた上でもゆるの思いを受け入れるのでした。

13話より

13話より、これこそ1コマ1コマが写真として映える漫画の真骨頂。
こういった関係性の深まりも、情感溢れる筆致で魅せてくれるのが本作『ぎんしお少々』です。

終わりに

本作において見られる勘違いすれ違い行き違いの展開は、作者・若鶏にこみ先生の前作『放課後すとりっぷ』でも多発していました。
登場人物のディティールと並行して、安易な答え合わせにより読者へ媚びることなく交錯する勘違いなどをも描いていたその出来は、あまりにも分かりやすすぎる物語の野暮さや無味さに警鐘を鳴らす身として、肯定的に指摘しておきたかった……のですが。
これは月刊誌掲載として見た際途中から読む層を非常に引き込みにくくするやり方でもあるためか、本作においてそういったネタが前面に押し出されたケースでは、内心においてその戸惑いの背景が語られるなど、かなりの配慮がなされています。
また、前作は人を選ぶ主題・作風であったため、完成度を備えていようと誰彼構わず推薦するのは難しかったのも事実。
この点についても本作では趣きが異なっていますので、本作はとりわけ前作が肌に合わなかった方にこそご覧いただきたいと感じています。

更にもう1つ。
14話以降の本作も、16話(奇しくも3話で見られた藤見姉妹のお風呂シーンがメインとなる回)を筆頭に、自然体の魅力で攻める方向性は更なる精度の上昇を見せています。

16話より

また物語は前述の4人に加え、新たに高校2年生の主要登場人物2人を加えて展開中。
そのうち若葉谷セツナは諸事情から見栄っ張りな面が強く、自身の出任せも手伝って15話では妙な流れでもゆると親交を深めていきます。
しかし実のところ、15話そのものは殊の外ハートフルで、勘違いやすれ違いを1話にまとめた回として非常に濃度の高いエピソード。
本作はこういった回が続いているだけに、1巻を読んで気に入った方は今からでも電子版で連載を追いかけていただきたいと感じています。

最後に、本作についてはちょっと作品そのものからはみ出した思い入れもあったりして。
やや感情的な部分もあるので別記事に移していますが、ボクにとってそこまでの期待をかけたくなる作品でもあるのは事実です。そしてその根拠は、これまでに示してきた通り。
そんな本作『ぎんしお少々』に、ぜひともこの先もっとご注目を。

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Written on July 26, 2021