ジョークみたいな楽しみ方

ここ半年くらい、ずっと疑問に思っていたことがありました。

真摯に描かれた作品をジョークみたいに(意図された局所的誤読でもそれをネタとして)楽しむのを、笑い飛ばして許すべき、あるいは許せるボーダーがどこなのか。

今はほぼ堅物みたいな読み方ばかりしてるボクですが、それでもたまにはネタ的な読み方を見て笑うくらいします。
数年前だったらもっともっと、今なんかより遥かに多かった。
堅物みたいな読み方ときっちり区分されたところで、そういう読み方を楽しんでいる節は確かにありました。
(正確に言えば「そういう読み方をして楽しんでいる人の姿」を楽しんでいる、だったかもしれない)

それって結局偏に「作品をネタとして読んでいるのとは別に、真剣に読んでいる時がしっかりある」「そういう時はちゃんと、誤読なく完璧に読むとまではいかなくても整合性があったり核心を突いた読み方をする」「一方で誤読の可能性も考慮し、誤読が明らかになったらそれを改める」みたいな姿勢があるかどうかだったんです。それだけ。
(許すべきかどうかの観点でなら、限られた場合ではあるものの原典との齟齬があるなら間違いなく許すべきではありません。が、それと少しズレた部分に感情として許せるかどうかがあるのもまた事実)
ボクにできなかったり、あまりやらなかったり、といったベクトルでジョークみたいな楽しみ方をしている人たちの中でも、ボクが敬愛してきたのはそういう素養がある方々でした。
「数年前」から出会っていたそういう人たちの多くはその点で現在も変わっておらず、それゆえにボク自身そんな人たちを今尚敬愛しています。

しかし最近はそういう出会い、ないこともないですがだいぶ減っちゃった気がしまして。
パーセンテージ換算ですら少なくなったのが余計悲しいので、増えてほしいし増やしたいなー……

Written on January 15, 2021