睡眠時間

別れの理にも色々ある(かもしれない)と思う。
不仲に端を発する別れ、すれ違いのような別れ、再会を待ち望むような別れ。

その中で、最も普遍的な理である別れ。
今日はそんなお話を。

ご覧になった方はご気分を損なうかもしれません。それを避けたい方は今すぐブラウザバックをお願いします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
このお話は、アマチュア文章書きとしてのボクでもなく、Twitterで自分を律するよう努めるボクでもなく、直接お話した方が知る気分屋で笑い上戸な自分でもない、ただのなにかへと触れてみたい方だけがご覧になってもいいと感じている件です。
そうでない方はぜひブラウザバックをお願いします。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020年7月26日、とある人物が亡くなったとの報せを受けた。
自分が心から悪友と呼び、その心がガッチリと噛み合う、楽しいことも悲しいことも何でも話せるような奴だった。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
発見されたのは22日。既にその時もう、眠るように息を引き取っていたそうだ。
原因について書く気はない。ご家族に伺って一応知ってはいる。
もう奴と面を向き合わせることさえ叶わない、その事実を真に超えていってからなら、もしかするとこの記事にも追記してしまうかもしれない。
ただその兆しは今のところない。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
様々な事情で、自分の住む場所からは幾分遠くにいる。目前に赴き、手を合わせることだってできていないのだ。
縦んばそうして奴のもとへと向かったところで、もうだらだらと駄弁ることすらできない現実を受け入れられるかどうかも定かでない。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
物語の登場人物のようには、そうそう上手くいかなかった。
あの日からも世界は回り、自分の周囲だって回っていく。
そして自分の身体はまたそれと同じように、世界に合わせて動き続ける。
置いていかれたままなのは心だけだ。ふと足を止めた時、自分の中でだけまだ不確かな事実が、空っぽとして心中に隙間を生む。
奴と共にした時間を大事に、 前を向いていけるか……今の自分は、まだ分からない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
何かの手違いで一気にここまで来てしまった方。どうかこの記事からブラウザバックしてください。お願いします。
最後までご覧くださった方。今日ここに書き残した人物のことだけをどうか心の片隅に置いていただければ嬉しく思います。

Written on December 30, 2020