俗性が映し出す神々の現実:人々と寄り添って暮らす『ミソニノミコト』

「八百万の神」とよく言われます。それだけ数多く存在する、日本神道における神の概念が、人々の親しみを得、文化や信仰から果ては生活までに根付いているのを端的に感じ取れるフレーズですね。
とは言え神様は神様、馴染こそできても「神聖で気高い」とどこかで思いがちですが……(少なくともボクはそう)

「私も腹が減った時は人の家の食い物を拝借したもんだ」

「祀られる場所も無い野良の神ってのはすごく寂しいものなの だから短い時間とは思うけど……二柱(ふたり)のこと見てあげてね」

神様であれ、そのコミュニティや人との関わりにも、俗っぽい悲哀が多々あるようで。
そんな世知辛い神々の実情を、しかしシリアスに偏ることなく緩やかに描く作品。

1巻表紙

それが『ミソニノミコト』。

芳文社創立70周年記念のキャンペーンでセールになっている作品の中でも、(観測できる範囲では)なかなかの言及率を誇ってますね。
これ、ボクからも非常にオススメしたい一作となっています。

ミソニノミコト 1巻 (まんがタイムKRコミックス)
ミソニノミコト 2巻 (まんがタイムKRコミックス)

ボク自身、先日Twitterで「宣伝は過剰になるほど忌避感が湧くし苦手」みたいなことを言っていましたが、そんな身でも魅力を語るために筆を取ろうと思える秀作の1つです。
(本作に限ったことではありませんが)ボクが推薦するのはネタバレをある程度しても実際読んだ際の魅力に影響が及ばない、懐の深い作品ばかり。
というワケで、本編の中身に対する言及もそれなりにやっていきます。内容に軽く触れるくらいで深く掘り下げすぎずに紹介してる推薦文は前述した通り、ここ数日の間に結構そこかしこで見られましたもんね。

あらすじ

受験生の瑞穂は高校から近いという理由でおばあちゃんの家に居候中。ある日、おばあちゃんが瑞穂の合格祈願を神棚でしていたら「サバノミソニノミコト」(※鯖の味噌煮の神様)が現れた!実は日本の歴史や神話も学べちゃう?神様との同居ライフギャグ4コマ!

まんがタイムきららWebより

生活密着型すぎる神ミソニと、信仰心に乏しい瑞穂と――

↑のあらすじ、引用して改めて読んでもシュールで笑っちゃう。

神の間にも階級制がある中、どこかに祀られているワケでもない野良の神の1人……そんな立ち位置のミソニが司るのは鯖の味噌煮。神様にも色々あることを登場人物もとい神物の背景から示す上で、身近さもさることながら渋さが一周回ってキャッチーに転じる絶妙さです。性格は神らしい感覚をもち合わせてもいながら、普段はちょっとワガママな子供そのもの。
対する人間側の主人公・塚原瑞穂は、「神様がいるなら魔法か何かで簡単に合格させてもらいたい」と考える現代っ子な受験生。反面、信仰心が高い祖母の元で暮らしていたゆえか、ミソニ曰く「信心深い者や無垢な者だけに見える」存在である神を視認できる人物でもあります。

神々はミソニに限らず、おからの神ウノハナ(卯ノ花比売、ウノハナノヒメ)や茸の神マイ(舞茸比売、マイタケヒメ)に算盤の神ヒシダマヒメなど身近な物に宿る神から、ツクヨミ、ウカノミタマ(宇迦之御魂 / 稲荷神としても知られる)、オオクニヌシ、アマテラス(天照大神)といった有名どころまで、軒並人間の文化にすら馴染むような、俗っぽい性格や感性なのもポイント。「やることもなく暇だから」と自室でテレビゲームに勤しみ皆既日食を引き起こすアマテラス、といった現代的ながら珍妙な小ネタもあり。
とくに登場する神々の中では個人的にイチオシのウカノミタマなんて、信仰を得ようとして神社にサッカーボール置いたり、神札とお守りを社務所から引き抜いてきたりと結構やりたい放題。教え子に当たるミソニが同じように人間の食べ物を掻っ払ったこともある(冒頭1つ目の台詞がこの時の談)のも頷ける一面です。一方で本質的には知見に基づく視野の広さや威厳ある佇まいを備え、真っ当な形でも人間に愛着をもってもらうための努力を欠かさないなどギャップも充分にあります(例えば冒頭2つ目の台詞はウカノミタマの言葉だったり)。

8話より

↑現実では人間側が規定しているお布施について「神自らが言及するのか……」と思わず顔を顰めてしまった一幕。
ただ、寺社と信仰心のリアルを象徴するシーンとしては非常にお気に入りでもあります。

まあ神々が神々なら人間のほうも人間で、瑞穂の祖母シズエは家にミソニがやってきたことを「去年死んだタマが戻って来たみたい」と喜ぶ始末。
また、瑞穂と交友の深い同級生たち、オカルト少女の風路(フウロ)とUFO・UMA好きのエミリも同様に神々を視認できる人間です。作中では神々がその根本について、超常現象を信じる心は純粋さの裏返しと見做し、人間とあまり変わらない目線でドタバタを繰り広げる辺りも、ギャグであると同時に日本神道らしいおおらかさの現れ方と言えるでしょう。

まんがでわかる神道入門

10月の旧月名が「神無月」なのは日本中の神が自身の祀られる場所を離れるためであり、その目的地となる出雲地方では10月を「神在月」と呼ぶ……
……こういう知識って、多分寺社や神々に明るくない人にとっては多分雑学の部類だと思うのですが。

1巻口絵に付記されたキャッチコピー「まんがでわかる神道入門」の通り、現実の日本神話で語られるネタが至るところに散りばめられているのも本作随一の特色です。
先述のように「マイナーな野良の神々はいくらでもおり、神社に祀られているのは一握りの勝ち組」とか。
ウカノミタマに関する「『稲荷神=狐』のイメージがつけられたのは江戸時代からであり、本来狐は稲荷神の眷属だった」逸話とか。
菅原道真に代表される「人神」がどのような経緯で祀られるに至ったかの裏話とか。
他にも「分業制」であるゆえ全能ではない神に範疇外の願い事をする人々への揶揄、参拝や神棚に関する知識など、神にまつわるネタは手広くカバーされています。 スサノオやスクナビコナ(オオクニヌシの国造りに別の国から協力しに来たとされる神)とその乗り物や、先に触れたアマテラスのゲームネタなど、作劇に際して現代的な味つけが施された背景もそれなりにあるものの、根幹に据えられたディティール自体はまさしく神道入門に相応しい奥行を誇るものです。

(ちなみにボク自身もあまり神話の類には詳しくないため、散りばめられたネタそれぞれがどの程度メジャーあるいはマイナーなのか、という点についてはちょっとよく分からなかったりします。神無月と神在月の由来については、おそらく雑学に含まれるであろう知識の中でボク自身が本作に触れる前から知っていた数少ないネタでした)

強い必然性と説得力により第四の壁を破る神・鯖味噌煮命

神道入門としての側面が本作随一の特色であるならば、こちらはボクが本作で最も評価したいポイントの1つ。

1巻帯で「心が清い人には見える」と触れ込まれた本作、本編においても神々は「信心深い者や(子供のような)無垢な者だけに見える」「気にとめる時間が無くなると自然と見えなくなっていく」「婆ちゃんくらいの年になるとまた見える人間が増える」存在とされています。序盤からさらっと触れられているこれらの背景を活かした展開が、終盤にかけて顔を覗かせてくる辺りは隙のない構成。
更に本作の神々は、古事記のような人間の執筆した書物をきっちり把握してもいます(作中ではミソニとツクヨミが言及)。現実的な観点で言えば、非現実の人物……もとい神が自らの存在を規定した逸品やその作り手としての人間、またそれらをありがたがる人間までをもきっちり認知しているというメタ性であるワケ。

視認できるか否かに拘わらず神様はそこにいるという背景の元に、程良く脚色されつつも奥深いディティールを伴った筆致で人々と神々の交流が描かれていく本作。
そんな本編のラストシーンでは、明確に読者へと働きかけを行うミソニの姿が見られます。終盤の展開自体があまり重くなりすぎない範囲で含蓄豊かなものである中、ミソニは読者の存在をも認識し、また実は読者も本作の神々を視認できる存在だったと明確な裏打ちをもって描かれていたことが分かるのです。神々はいつかその土地や交流の深い人々の元を離れることもある、という展開とシンクロしてもいるその妙技は、第四の壁を破る必然性と説得力を強く感じさせるものです。
締め括り方に至るまで技巧面でも感情面でも非常に心を震わせてくれる作品として、本作は指折りの強みをもつと評させていただきたい。

終わりに

作者のPAPA先生は2巻の巻末コメントにて、本作の根幹を為す「神様が見える条件」の着想を得た経緯について少しだけ触れています。よくよく考えるとちょっと怖いですけど
穏やかなコメディとして機能した物語の裏で、その意図が十二分に結実してもいる本作。興味をもたれた方、是非ともご覧になってみてはいかがでしょうか。

Written on July 16, 2020