8ヶ月の平成終盤と4ヶ月に渡るその余韻:時代を駆け抜けた平成『仮面ライダー』たちを振り返ってみる

『仮面ライダージオウ』が終わりました。
それは取りも直さず、平成『仮面ライダー』の一区切り。
しがない1人の視聴者にしてみれば『ジオウ』34話以降は、さながら元号としての平成を終えた後の余韻だった気もします。
だって約20年の歴史があるんですし。平成ライダー。
自分で書いてて眩暈がするくらい長い、20年って時間に比べれば、4ヶ月くらい誤差ですよね。
だから今更こういう記事を投稿するのも、別に何ら問題はないじゃないか。
『ジオウ』にも、平成ライダーにも思うところが山程あるんだ。
……ということで。

ボクもボクなりに時代を駆け抜けて……もとい、平成ライダーたちを振り返ってみたい。
せっかくリアルタイムで見ているライダーとそうでないライダーがあるので、敢えて完走した順でいきます。
今回もまた好き勝手言う記事になりそうなので、そこはご容赦いただきつつ。

仮面ライダークウガ

平成仮面ライダーの原点。『平ジェネFOREVER』でも大きくフィーチャーされてました。
アナザーアルティメットクウガが出し抜けに「究極の闇」を語った時は、元祖平成ライダーがクウガで良かったと唸ったりもしたのがもう昨年末か。
非暴力を訴えるために敢えて暴力を生々しく描く試み、2話の教会炎上シーンで予算の半分を消費した都市伝説すらある画作りやアクションの熱量、本来のメインターゲットに向けられるべき玩具展開すらも度外視した脚本など、それまでのライダーからすれば革新的で実験的だった――とはほうぼうで語られている話。

しかしボク自身、『クウガ』当時はまだあまり熱心に見ていなかったこともあり、リアルタイムの印象的な記憶はそこまでないもので……
ミョーに覚えているのが26話、ゴ・ブウロ・グに弱点を突かれて変身時間の制約を超過し、グローイングフォームへ強制退行してしまったライジングペガサス。
一方、武器でよく覚えているのは自動伸縮するドラゴンロッドでした。あのギミック、アクション映えを感じます。
今になって見返すと “あの” 35話に代表されるように、放送当時の年齢を考えればトラウマができてもおかしくないくらいには圧倒されたんですが、どうなってんだ自分の記憶は……
アルティメットフォームのたった数分の死闘だって多少なりとも覚えてたって言うのに、クウガでは好きなフォームだった4種のライジングがタイタンからマイティへ遡るように発現していったのをまるっきり忘却してたし、記憶ってのは本当にアテにならない。

仮面ライダーアギト

ボクの中では「平成ライダーでも群を抜いてカッコいい二大ライダー」の一角。
グランドフォームが必殺技の時にクロスホーンを展開したかと思えば、基本3フォームの複合であるトリニティフォームが少ない話数ながら印象的な活躍を見せたり、暴走する危険を抱えていた超強力なバーニングフォームから殻を破るようにして誕生したシャイニングフォームが最強フォームだったり。
ボクはこういう地味すぎず派手すぎずなギミックにとことん童心を擽られるんだなーと感じます。立ってるだけの姿すら平成ライダーでは一二を争うほどカッコよくて好きなんですけどね。

ドラマ的には、葦原涼がとても不憫だった印象が強くあります。もちろんシナリオ上の扱いではなく、作中で彼を取り巻く環境が。
その葦原涼……ギルスに22話で敗北を喫したG3のマスク割れは、平成ライダーでは最初のトラウマだったかも。
一方46話が実質的な最終回の扱いですが、ボクにとって「最終回は最終回」だと今も思っています。いくら蛇足気味としてもやっぱり『アギト』の物語の幕引きは翔一君のあの笑顔あってこそ。

あとは平成ライダー最初の映画である『PROJECT G4』にも触れておきたい。G3-Xにも見られた危険性を強調した形であるG4がメタ視点で間接的に本編へ与えた影響も大きいですし(不器用な「ただの人間」である氷川君が道を誤らず、シャイニングフォームすら苦しめたエルロードたちと渡り合った大健闘は強調すべき)。
単純に当時画面越しでさえG4の圧力を感じ取っていた記憶があるためでもありますが。しかし、こんな代物が罷り通ってしまった『ジオウ』のG4アナザーワールド、ある意味そのディストピア性を見てみたくはあったかも……

仮面ライダー龍騎

ボクが平成ライダーにリアルタイムでドハマりしたのは、確かこの辺りからです。
願いを叶えるために殺し合いまでやってのけるライダーたちの物語は平成3作目にして1つの革新性を極めた、とは後々の談。
そう言っても、ヒーローとされてきたハズのライダー同士の戦いは個人的にさほど抵抗感はなかった記憶があります。
もちろんライダーたちが死んでいく様はトラウマのオンパレードでした(佐野なんか決して褒められた人格じゃないのにあの最期が見ててめちゃくちゃしんどかった……)が、それでも登場人物の生き様は「これもまたライダーの1つ」と案外好意的に見ていたものです。
倫理的あるいは道徳的な面で生粋の悪人こそ多かったものの、絶対的な悪とされる存在はいませんし。
何より、能天気で愚直すぎて笑わされることもしょっちゅうだった真司の戦う姿は本当にカッコよかった……
他にも王蛇として圧倒的な実力を誇った浅倉や、非情さもありながら総合的には作中屈指の人格者と言える香川先生などなど、好きな登場人物もたくさんいます。

そんな龍騎で覚えているのは、一番となると49話を差し置いて28話。
後年ライダーを回顧し出した際に総集編で片付けられがちなことを知って、ボクは結構ショックを受けました。
良くも悪くも偏にタイムベントのおかげではありますが、その影響でより強調されたライダーバトルの理不尽を抜け出そうと、龍騎がオーディンに一発かましてから “あの名言” を経て『果てなき希望』の流れが最高に熱いんですよ。蓋し中盤を彩る名篇と思うワケです。
また、榊原耕一が意表を突く形で登場したり、ゲストキャラの高見沢が『龍騎』に相応しい台詞を放ったり、結末を視聴者に委ねたりしたTVスペシャルも割と印象的。「最終回を先行映画化」と銘打たれた劇場版以上に、龍騎の物語全体を見通して構築されたこちらが実は好きだったりします。ダークバイザーツバイも当時持ってたほどだったナイトサバイブに真司が変身したのは新鮮だったなあ。

仮面ライダー555

平成ライダーで一作推薦なら、個人的には筆頭のライダー。全話の脚本を執筆した井上敏樹氏にとっては、本作は「3本のベルト物語」とのこと。
主要登場人物は皆好き、ライダーはバイクまで含めてどれもカッコいい。何よりシナリオの完成度も全体的に見れば平成ライダーでは「上の上」と評すべきだし、唸るような戦闘シーンも豊富と、いざ魅力を細かく語ろうとしたら何から始めればいいかとちょっと困るくらい。
スマホが普及し、ボク自身スマホを持つようになった今尚デザイン面でガラケー指向があるのすら、多分本作のライダーの活躍が多分に影響している気がするくらいなことを考慮すると、当時どれだけ執心だったかは況んや(デルタの端末だけはちょっと特殊ですが、それもまた良い)。
主人公の強化形態として加速能力を平成ライダーに定着させた功績をもつアクセルフォーム(フルメタルラングが開くロマンと分かりやすいリスクリターン)や、最強形態にしては不遇気味ながらも決死の必殺技を見せてくれたブラスターフォーム、当時「これがバイクか……」と可変機構に度肝を抜かされたサイドバッシャーのバトルモードはおろか、敵側でもまんまケンタウロスなホースオルフェノク疾走態や、重厚な魔人態とアクセルフォームを凌ぐ速さで動ける流麗な龍人態で物語を引っ掻き回し強さを印象づけたドラゴンオルフェノクなど、気に入ったデザインもめちゃくちゃありました。

物語的には、目に余るほど暴虐非道な動きの目立つ人物が多かった前作と比べるとこちらはいくらか現実的なレベルで危うさや欠点をもった人物が多かったように感じます。主人公の乾巧からしてそれが分かりやすいであるゆえ、最初は割と難色を示されたそうで。
一方でそれが序盤からコメディシーンを生み、ライダーサイドの初期3人とオルフェノクサイドの3人が出逢う頃にはもう没頭していました。
ライダーとしてのファイズはファイズで、前述の通りカッコいいのもそうなんですが、怪人であるオルフェノクが序盤でベルトを奪って変身することに良い意外性を感じていましたし。
たっくんや木場の苦悩、草加の狡猾な悪巧み、流星塾の悲劇、終盤まで縺れに縺れる人間関係……上げていけばきりがない重苦しい展開も何のその。
中でも8話『夢の守り人』は555本編でも特に名篇と語られる回。真理の奮闘や海堂の来歴を背景とし、ライダー側だけでなくオルフェノク側のドラマも重視した本作の物語を象徴する回の1つです。海堂……
が、その8話や40話、44話、最終回などを越えるほど当時から印象深いのは25話。深まる物語の謎を見つつ闇の中でファイズとカイザが息を呑む攻防を繰り広げるライダー側、「後輩」の影響でまたも葛藤する海堂を軸に展開されるオルフェノク側と、8話同様二分された作劇も見応え充分。海堂……
また、ファイズは劇場版も完成度が高いんですよね。本編とは異なる魅力をもつパラレルワールドで、龍騎のTVスペシャル同様本編を濃縮した物語を描き、画的にも冴え渡る名作。劇場版限定ライダーであるサイガとオーガを始め、本編に先駆けて登場した前述のブラスターフォームも抜群の活躍を見せてくれます。当時ギネス記録にもなったほどのエキストラを動員した豪華すぎるバトルは必見。ただし海堂と長田さんに関しては当時トラウマもでき……海堂……

こうして振り返ると海堂多いな。ライダーよろしく「変身!」って叫んでオルフェノクになったりすることもあるし、やっぱりお気に入りなんだな。
主要な人物は全員好きと言いつつ頭一つ抜けてる海堂に並ぶくらい、草加も好きなんですけどね。やり方はだいぶ道を外れてますが、あのブレない信念は本編に則せば間違いとも言えないので。

仮面ライダー剣

前作とは違い、ちょっと悪い意味でも言及に困るライダー。
前半の展開を差し引いても、今となってはネット上に根づいてしまったあの揺るぎないネタがありますし……橘さんは良くも悪くも橘さんだし……
ただ、全編通じて見ればその思い入れは結構上位に来ます。それは迷走していた本編を取り纏めつつライダーたちが共闘するようになっていく後半を経て、物語を完成に至らしめた最終49話『永遠の切札』があったからこそ。
無二の友である始と世界、両方のために自分の身を抛った剣崎。「運命と戦う」その覚悟と、始が剣崎の幻を見たあのシーンに、ボクが覚えた言い知れない感情はこれからも絶対に忘れません。思い返すと、あれがビターエンドに心打たれた最初の経験だったのかなーとも。
だからこそ、後述しますが『ジオウ』のブレイド編には衝撃を受けつつも、あれはあれで本当に感動しました。複数存在する、本編から分岐した後日談の中では、ジョーカーだった2人が運命に勝利したあれが正史であってほしい。

デザイン的には、戦闘においても無類の活躍を見せたブレイドキングフォームが文字通り王道的に好き……なんですが、今見るとBOARDライダー以上にカリスがカッコいいな、とも思います。主にあの変身のスタイリッシュさが。

仮面ライダーカブト

ライダーとしての響鬼を当時は異質と感じたボクが1年ぶりにライダーに触れて、とても王道だ “と見えた” 作品。
キービジュアルか何かでの、カブトが天を指差すあのポーズを一見して惚れ込んだ、ボクの中では「平成ライダーでも群を抜いてカッコいい二大ライダー」の一角です。
そもそもカブトに限らず、本作のマスクドライダーは全体的にカッコいいと思っています。とりわけマスクドフォームのバルカンで遠距離射撃をする姿に人型ながらタンクっぽい力強さを感じたガタックとか、左右非対称のデザインなのにアンバランスさのないドレイクとか。

その実物語としては、蓋を開けて見ると脚本的に穴だらけ。
ライブ感とネタ性を極めすぎた反動かツッコミどころも結構多く、1年間ライダーから離れたのもあって見返すまでは印象的なシーンもあまり思い出せないほどでしたが、そんな中でも覚えていた、ガタックを初登場のハイパーフォームが救う34話と、ハイパーフォームがカッシスワーム・グラディウスにマキシマムハイパーサイクロンをぶっ放した44話を頼りに、一昨年頃見返してみました。
そうしたら、あまり良くない意味でネタ回にも成り下がってしまっていた34話はさておき、44話がとても熱かった。ひよりを擬態天道から取り戻したカブト、カブトが来るまでマスクドライダー計画の中枢となる場所を守り抜いたガタック、「俺も笑ってもらおう」とか爆笑のネガ発言をかましながらもカッコよく弟の雪辱を晴らしにやってきたキックホッパー、3人の共闘が最高にシビれました。
カブトの場合はネタ方面も作品本来の魅力ですし(あの料理回とかネタの極み)、そういう意味では本作だってちゃんと楽しめていたのも事実。

ところで『ジオウ』においては、カブト編はかなり頭を抱えていました。矢車の顛末に思ったのは個人的な切なさゆえなのでともかく、加賀美は天道に強い思いをもっている一方マスクドライダーカブトそのものに執着していたのは序盤だけだったことから、認められたとしても変身はしないんじゃないかと思ったんですが……これも後述。

仮面ライダー電王

『ジオウ』を除けば、リアルタイムで見た最後のライダー。……案外早い最後だな。
『剣』で陰りを見せて以降低迷していたライダー人気を復活させた立役者とされるだけあり、その完成度ももちろん折り紙つきではあります。
が、当のボクは存外当時の思い入れが多くないらしく……
ライダーと言えば重い空気感を破るカッコいい存在と認識していたせいで、主にイマジンズの影響だったあまりにギャグギャグした表面上の雰囲気が刺さらなかったのか。あるいは人気が出すぎて逆張り精神が発動したんだろうか。多分後者かな。
物語よりも印象的だったのは、リュウタロスのネーミングでした。『桃太郎』『浦島太郎』『金太郎』と来てお伽話から外れた『龍の子太郎』って、そりゃ当時のボクには分かるまい。
1話から4話が掴みとしてこれ以上なく機能していますし、イマジンたちや桜井侑斗回りは結構重い展開もあるので、今となっては楽しいんですけどね。とりわけ、良太郎のように分かりやすく弱点がある一方でちゃんとヒーローらしい精神をもった主人公はつい成長していく様を見たくなる。
タイムトラベルモノとしてもやはり流石に『ジオウ』ほどはゴチャゴチャしておらずまだ見やすく解りやすいと感じる辺り、慣れって怖い。

デザインで言っても当時の記憶すら不思議なくらいになく……
心が踊ったのはどっちかと言えばフォームチェンジの変形ギミックだったかもしれない。なのでそうなると基本フォームが好きなのかな。フォームチェンジがあるなら付随するハズの掛け合いまでは印象に残ってなかったのに
『ジオウ』本編でもゼロノスがアルタイルからベガにチェンジしたり、『FOREVER』で4フォームが入り乱れたりしたのを見て、ああこれが電王だったなとほっと一息つきました。

『FOREVER』と言えば、電王に関しては一歩引き気味だったのもあって良太郎の登場にも佐藤健氏の事情のほうを気にかける有様でした……が、レジェンド勢ではクウガと並んでフィーチャーされたのが電王だったおかげでその完成度が高まったのは間違いないと見ています。『Over Quartzer』がメタ要素を全てギャグに投げたのも、間接的にその説の説得力を上げているのではなかろうか。

仮面ライダーキバ

放送順に見ているようで、ここからは後年に見た平成ライダー。
メインライター繋がりの『555』すら越えたと感じるほど重苦しくドロドロした物語の他方、名護さんや音也などネタ面でも個性的な人物に溢れていました。いいぞもっとやれ。
ただ、いずれにせよ登場人物の動きに筋は通っていたし、脚本的にもさほど綻びはなかったと感じます。何より井上脚本には親しみがあったので、比較的早めに取っ付く理由はかなりありました。深央や中盤の健吾回りは氏の脚本に慣れていても、ちょっとシビアだったなーと思いはしましたが。
それより強いて言えば、作劇上現代編と過去編を整理しながら見る必要があるのが難点。作品の出来とは無関係ながら、展開よりこっちのほうが迂闊に話題に出しにくい要因になっている気がします。特にメインターゲットである子供にとっては、そういう部分の影響で前作以上に見にくそう。
弱さのある主人公が戦い抜いて成長していく辺りには前作と通じるモノがあるのも、さりげなく特記したい事項かも。覚悟を決めた渡が大牙のために戦う終盤は、そこまでの迷いを撥ね除ける爽快感がありました。

そんなキバの最強フォーム・エンペラーとダークキバが一緒に映るシーンはどれも良かった。造形的にも配色的にも、ダークキバは結構気に入っていたので、それと並び立つエンペラーフォームは「キバって本当にダークキバと親子だな……」と感慨深かったです。そのシーンがお目にかかれる時期の変身者2人は関係性がだいぶゴチャゴチャですが。
それと、キバはクウガと基本フォームのベースカラーや能力の傾向が同じでした。(偶然なのかもしれませんが、そうでなく意図的だったとしたら)よくありがちな原点リスペクトって平成ライダーでは案外早かったんですね。

仮面ライダーW

平成2期のトップバッターにして、本作も名作と名高いライダー。
バディを組んでいると思ったら3話4話でいきなり仲違いした翔太郎とフィリップには結構面食らいましたが、今となっては何度も見返すくらい好きになっているライダーです。
刺さったのは10話、亜樹子が依頼人を守ってドーパントに対し啖呵を切るシーン。翔太郎も思わずおやっさんの面影を思い起こす勇気にそりゃもう震えましたとも。
その後も霧彦退場回では彼なりの矜持に震え、照井が登場しては真っ直ぐな男気溢れる勇姿に震え、ライダーとしてフィリップの隣に立ち続けるべく根性を見せる翔太郎に震え、テラー・ドーパントの恐怖に心で打ち勝つ翔太郎に震え……震えまくったなあ。
翔太郎曰く「身体一つになっても食らいついて倒す、その心そのものが仮面ライダーなんだ」と。これは “ライダーの” 名言として一番好きです。
一方で、キャラとしては照井がお気に入り。当初毛嫌いしていた風都でWと共闘するようになった26話、宿敵である井坂を前に全てを振り切った38話、照井の過去にとっては元凶の元凶であるシュラウドとの因縁をも乗り越えた44話、その過去に目を付けたドーパントとの戦いに身を投じていくVシネマと、改めて振り返るだけで泣けてきます。というか本編終盤やVシネマは見返す度に泣きます。

といった感じで評判に違わない物語のWですが、デザイン的には特に言うことがなく。電王の時みたいだ。
初代仮面ライダーをリスペクトしたと言っても、肝心の昭和ライダーをボクは全く見ておらず……それだけなので、要するにボク自身のせいなんですけどね。
それ以外でフォームに関して言うと、アクション面込みでファングジョーカーが、脚本面と設定面込みでヒートトリガー(相性が良すぎるために出力パワーが危険な域に達する上、劇中ではよりによってこの姿で設定上無謀なツインマキシマムを発動した曰くつき)がお気に入り。

仮面ライダーOOO

平成ライダーでは『555』に次いで推薦作品であるライダーの一角。ボクは最終回で泣きました。
後年見返して涙するようになった平成ライダーはいくつかありますが、初見で泣いた平成ライダーは後にも先にもこの『OOO』だけ。
主題となったのは「欲望」であり明快な一方、その「欲望」を必ずしも悪とは結びつけないストーリーを上手く描いたのが特徴の1つ。多少年を食ってから見たボクも心ゆくまで楽しめましたし、本来は子供向けのシリーズとしても1つの模範的な作品なんじゃないでしょうか。
グリードとして欲望をもって復活したと思ったら最初は右腕だけの存在だったアンクや、その彼と奔放にメダル争いをする傍ら自身の来歴もあり後藤さんや映司を気にかける伊達さん、老獪さも備えながら立ち居振る舞いが豪快すぎる鴻上会長、キヨちゃんを仲介しないと会話すら真面にできないコミカルさに過去の闇が共存するドクター真木など、個人的には登場人物でギャグとシリアスのバランスが取れていてとても見やすかった。
主人公の映司も映司で、危うさや食えなさが垣間見えるなど一筋縄ではいかない人物造形ですし、良くも悪くも油断ならない物語だと感じもしました。
互いに確固たる信念をもっておりいつ敵対してもおかしくない映司とアンクのコンビに、こういう本来対立する立場同士の人物が組むバディがボクは好きなんだなーと知見を得たのも本作のおかげです。
事実上の強化フォームとなる「コンボ」が6話で初登場したのを皮切りに続々登場する点はライダーの作劇としてはちょっと異端な感も当時ありましたが、そんなことは枝葉末節に過ぎないと言わんばかりの魅力的な展開。
ガタキリバの度を越えた分身能力で「こりゃすごい」と笑い、タジャドルお披露目回では異なるスタンスであろうとも共闘者として互いを解り合っていた映司とアンクに唸り、後藤さんバースの初陣回ではアンクさえ「伊達よりひどい……」と呆気に取られる戦闘に叫び、終盤における海辺での戦闘シーンや二大バースの連携には吠え、そして上述のように最終回では泣き、と感情が揺さぶられまくった有様で。
ちなみにボクは作り手の端くれとして「作り手の中で動くタイプの登場人物の全てを作り手が理解するには決して至らない」という立場であるため、最終回の映司がアンクのコアメダルをちゃんと視認できていたかがボカされてしまった以上は、脚本段階での意図と異なり「メダルを視認できていた」と見ています。最後の変身にもすんなり説明がつくので(もしかしたらこの戦いが最後になるかもしれないとアンクも映司も覚悟したからこそ実現した、2人のシンクロを示すイレギュラー要素)。

造形関連では、制作サイドの視点だとオーズが設定的に前作のハーフチェンジの発展形とされているものの、画的な部分ではWにおける左右非対称の違和感をボク個人の中では払拭し切れなかったのもあり(多分色のバランスが難しいんだと思う)、比べて見ると上中下で分割された本作のメダルチェンジは安心感があって良かったですね。
外見だけ見れば取り立ててこれと言えるフォームはありませんが、必殺技込みで見るとオーズバッシュのタトバとグランド・オブ・レイジのプトティラが個人的には頭1つ抜けてるかな。
ストーリー的には……言わずもがな。最終回で感動しまくりましたし。

仮面ライダーフォーゼ

デザインがダサいと評判のライダー。ボク自身も、確かに奇抜すぎるなーとビジュアルだけ知っていた頃は思っていました。
それ以外にも平成ライダーでは初めて学園モノの側面を掲げるなど、ライダーとしてはありそうでなかったカテゴリの作品だったように思います。
物語を見ると……ちょっと難のある登場人物が目立ったかなと感じます。何度か見返したものの、とりわけ流星が仲間になる流れは内面の描写に筋がない。隼も肝心の家庭環境が充分に描かれない都合上あまり身のない和解だったり、ゲストキャラはゲストキャラで真っ当な存在感を残せないキャラが散見されたりした他、ネタ面もあまり上手くはいっていない感。挙句最終回まで(学園モノとしては最適解にしても)あんな投げやりじゃなあ……
ボク自身はおそらく、弦太郎君が順当に「ダチ」を増やしていく痛快さで見ていました。その点については文句のつけようもなく描かれていたと思います。

対照的に、ダサいダサいと散々だったライダーデザインは実にあっさり受け入れることができました。
弦太郎君のあのダイナミックな変身ポーズがロケット感を上手く演出していたことや、一筋縄ではいかないアストロスイッチの使い方(特にホッピング、ペン、スコップ辺り)など、フォーゼのアクションはライダーとしては上位に来る見どころの豊富さだったように感じます。
また、戦闘シーン以外に至るまで見られた変身など、ライダーの魅力をこれまでにないアプローチで描いた妙も特筆しておきたいところです。

仮面ライダーウィザード

響鬼と並んで仮面ライダーに既存の枠組みを当て嵌めたライダーであり、その題材は魔法使い。
デザインの時点ではさほど魅かれたワケでもありませんでしたが、1話を見て掌を返しました。ボクはこういうスタイリッシュなライダーがやっぱり好き。
話題になりやすいのはあの変身音くらいなモノですがどっこい、物語としても手堅く纏まった侮れない作品でした。
自分を「最後の希望」と称しながらその実危うさや脆さもある、主人公の晴人。その晴人と支え合う形になったヒロインのコヨミや面影堂の面々。
決して協調はせずとも信念に基づいて行動するファントム陣。
そして両陣営が相対することになった物語の鍵を握る謎。
……と、派手さはあまりありませんでしたが(あるとすればせいぜい大雑把で奔放な仁藤と、行動の指針がアレだったグレムリンくらいか?)、細部を見ればちゃんと登場人物がそれぞれ存在感を放っていて、なかなかどうして癖になる出来です。
そんなウィザードから1話上げるなら15話かな。思い人(ファントム)の最期をその場では千鶴(ゲスト)に伝えずにおいた晴人の選択は、凛子も口にしたようにそれもまた希望の形。

先述のようにデザインもスタイリッシュで(特にマントがアクションシーンのアクセントになっている)、動いてみるとカブトにも通じるオシャレさがありました。エクストリームマーシャルアーツと呼ばれるらしいあの回転キック、めちゃくちゃカッコいいです。
本作は指輪を扱う関係で、子供がパンチを真似しないようにとの配慮から魔法使いたちはパンチアクションを基本しませんが、それもまた本作独自の魅力を出していると言えます。
また、女性ライダーだと思ったら量産型だったメイジにもボクはちょっと言及しておきたい。その先入観から、2人目の変身者が現れた時はどきりとした記憶が。

仮面ライダー鎧武

龍騎以来久々に、ライダーバトルが1つの主軸へと据えられたライダー。
メインライターが特定の筋には有名な虚淵玄氏だったことに加え、氏に他ならぬ『龍騎』リスペクトがあったのも手伝い、その『龍騎』にも劣らない苛烈な展開。
ライダーバトル以外にも異言語や人類の進化等と言った初期平成ライダーへのオマージュも見られ、『龍騎』『555』を特によく覚えていたボクは内心結構ワクワクで見ていました。
W同様序盤の目紛るしさがあったり、龍騎と比較してもハイペースにライダーが登場したりするため若干戸惑ったものの、目立った粗は見られず、虚淵氏他ライター陣の実力から完成度も上位に位置し、説得力のある脚本で「大人と子供」を語る作風は、ボク自身本筋以上にちょっと頭を抱える形に。まだまだ子供なもので……
登場人物を見ても、本作一の悪と虚淵氏にも評されるヒールながら自身の才能と研究を誇って憚らず、本編から外伝まで三面六臂の活躍を見せたプロフェッサーや、あんまりにも清々しすぎる道の間違え方に中盤からずっと「これ絶対どっかで退場するだろ……しなきゃおかしい……」と思わしめたミッチ、作中では数少ない好人物な大人のマスターなど好きな面々は多く、またそれぞれが上手く描かれており魅力的。

アーマードライダーは戦国武将に果物や果実を掛け合わせる、理解を越えた組み合わせのモチーフで、変身シーンも開いた口が塞がらない奇天烈な代物(序盤はまさにだいたい「バナ、バナナ!?」「バロンだ!」状態)。ただしそこは前々作同様シナリオやアクションできっちりフォローされており、決してダサいとは感じませんでした。終盤の黄泉や『フルスロットル』のドラゴンエナジーアームズ、外伝のジンバーマロンなど、意外なモチーフのフォームにも事欠かず。
中でも特に気に入っているのはここまで言っておいて名前に果実のないカチドキアームズ。極アームズやデュークレモンエナジーアームズなんかももちろん好きなんですけどね。

仮面ライダー響鬼

ライダー人気低迷の真っ只中にあったこと、元はライダーでない方向で構想されていたこと、前半と後半でガラリと変わる作風、制作陣のゴタゴタ等の評判から『ジオウ』が始まった後に至るまでどうにも手を伸ばしにくかったライダー。
2点目と3点目は特に本放送当時も大きく、平成ライダーとしてそれまでとは風変わりな雰囲気を前に序盤で視聴を断念した……と記憶していて。
実際今も、『剣』とはまた違ったベクトルで言及しづらいところがあります。しかもボクはリアタイ組じゃないし。
ただ、それを承知で感想を言えば、やはり『555』『キバ』とのライター繋がりで後半のほうに馴染みつつも、『響鬼』全体が光るには、『平成ライダー』の中にあって単独でさえ異彩を放つあの前半がなくてはならなかったと評しておきたい。
キーパーソンとなるのは、やはり桐矢京介という人物でしょう。
物語において新しい登場人物は、それだけで展開の変化を促すある種の起爆剤です。それは悪い意味ではなく、ただただ道理でしかない話。
殊に、ヒビキさんと明日夢君の微妙な関係性を直截的に描く響鬼前半の視点ではひたすら異物な桐矢京介も、視野を広げれば明確に響鬼の世界を突き詰め得る人物なワケで。
平成ライダーとは無関係の話になってしまいますが、ボクが敬愛する脚本家の1人も「外界の視点を持ち込むのは内なる世界の彫りを深める有効な手段の1つ」と論じていました。その視点を換言するなら、何事に対しても常に疑問を提起する姿勢。メタ視点では決して否定する意味をもってはいない。
現に紆余曲折ありながら、明日夢君は尊敬するヒビキさんと同じ道を歩みはしませんでした。しかして前半から丁寧に描かれたヒビキさんと明日夢君の関係性もまた「これはこれでアリだよね」という肯定的な幕引き。
過程こそ違えてはいるものの、最終的に本質は何も変わることなく前半と後半が互いを引き立て合っていると思うのです。

鬼としては斬鬼と轟鬼の2人が好き。キャラクターが好きだからってのもありますが。ただ、もしリアルタイムで見ていたら(一応当時は和太鼓に触れていたので)順当に響鬼を気に入っていたかもしれません。その響鬼もより鬼らしい紅で気に入ったため、装甲が登場した際には「ライダーに近づいちゃった……」と珍妙なショックの受け方をしたり。

仮面ライダーディケイド

平成ライダー10作目にして、アニバーサリーらしからぬ物騒な二つ名は「世界の破壊者」。それに恥じない大立ち回りを、最後の平成ライダーとなった『ジオウ』にまで出張って見せてくれました。
ボク自身は最初、紅渡が1話でいきなり登場してくるのもあってつい前作からの流れで見ていましたが、途中で「やっぱり響鬼を見てなきゃマズいかな……」と感じたため、結果として初見順が複雑になってしまいました。
流れとしては1 - 17話、20話 - 23話、(W+オーズ視聴後)『MOVIE大戦2010』、(響鬼視聴後改めて)18 - 31話、『オールライダー対大ショッカー』、『MOVIE大戦2010』という感じ。何だこれ。

脚本の出来は予々聞いていた通り「あーあ……」と思わせる尻窄み。展開の推進力と画的な派手さで頑張って補っていたところが大きいと思います。
それを差し引いて尚、良くも悪くもディケイドがもたらした影響は大きく……TVシリーズですら『ジオウ』のみならず『ウィザード』特別編といったゲスト出演の事例を作ったのももちろん、一番どうしようもないのは「ディケイドだから」「物語がないから」で背景に乏しい展開を許容する嫌いが生じてしまった点。『ジオウ』においてまたしてもこれは表面化することとなり……その先はやはり後述。

ただ……そこまで言いつつもやはり憎むことはできません。好きなライダーです。
『ディケイド』に生まれた物語を通じて士の来歴ははっきりしただけにその説教にもちゃんと重みがあり、そしてそれが客演時には上手く作用しているワケで。
本項でも期せずしてボクがやっているように、後発作品でも「ディケイドなら」とメタ視点での欠点を引き受けさせてしまうのは不憫な側面かもしれません。しかしそれを歯牙にもかけないほどの、ある種の傍若無人ぶりがまた世界の破壊者の魅力。まあ正直ネタにしてる側面もあるよなあ……

尚『MOVIE大戦2010』においても語り草は色々ある中で、鳴滝が「ディケイド!お前は何なんだー!」と言って一部で物議を醸したらしいのはちょっと擁護したいと思っています。
あの言い方なら「お前はどこまで私の予想を越えてくるんだ!」的なニュアンスで筋が通るワケで、それに対し(やや噛み合わないやり取りながら)お馴染のフレーズで応える士なりの復活宣言と見るべき。

仮面ライダードライブ

平成ライダーでは『OOO』と並び、『555』に次ぐ推薦作の一角。一方、前々作から前作と来て視聴を開始したら、いきなり世界観がファンタジーからリアルに戻ってきた影響で慣れ切れず、一度視聴をストップしたライダー。
ただしそれは何もライダーのデザインやテーマが影響しただけではなく、ボクがどうも三条陸氏の序盤の脚本とあまり合わなかったがため……と気づいたのは、同じ三条脚本メインのWでも最初は同様の現象が起きていたと思い出してからの話。
特状課の面々が掘り下げられ始めた2クール目半ばから徐々にのめり込み、究ちゃんとロイミュード072を描いた20話で本格的に陥落して(この回は単独での出来のみならず泊巡査にとってロイミュードへの見方を改めるターニングポイントとなったのも大きい)。
泊巡査の復活や過去との決別、終盤におけるロイミュード(特に迷走を重ねてきたブレン)の生き様、剛とチェイスの勇姿などなど山場も盛り沢山でした。
また、悪役である仁良や蛮野といった登場人物も魅力的。擁護のしようがない絶対悪の採用はなかなか勇気の必要な英断であると同時に、描写がちゃんとしてもいるので好きです。その動向は一周回って清々しい。
振り返ってみて1話ピックアップするなら、やはり46話でしょうか。自らの因縁に打ち勝って「さよなら」を告げる剛の姿はもちろん、ライター繋がりの『W』終盤における翔太郎とフィリップを引っ繰り返したように感じられたその展開に、ボクは視聴しながら思わず拍手を送りました。

造形でもお気に入りはマッハ。バランスを損わない左右非対称もさることながら、あの軽快な見た目が剛のテンション(軽めな方)にマッチしていて。
一方ドライブはタイヤコウカーンやフォームチェンジ時のギミック、チェイスはロイミュード態である魔進チェイサーをよく見ていた気がします。
特に後者は、前述の46話もありますから。

仮面ライダーゴースト

『ジオウ』本編でゴーストが登場したとき、その変身ポーズに「随分複雑な動きだけどカッコいい」と惚れたライダー。
一度死んで甦ったヒーローと言えば、ボクの中では(初回時点での明言こそなかったものの)『555』のたっくんを想起することもあり、平成2期も後半に入った本作に至って生死の描写がどうなされるかという面にとりわけ注目していました。
その上で中身を見てみると……平成ライダーを通じて見てもかなり問題点の多い作品だったように思います。
主人公のタケルがまずもって、作品のテーマの1つである「生きることの素晴らしさ」を標榜しておきながら、その実目立った成長も見られないまま綺麗事を並べるキャラになっていたのは痛恨。生死を主題に据えていない他ライダーと比較してさえ不足している死や命の重みの表現(死んでいることによるデメリットくらいもっと実感を込めて描かれるべきだった)が、なまじ目につく本作のメッセージ性を根幹から揺らがせたのは明らかでした。
何より、前半から提示されていた「周囲を優先するあまり尊ぶべき命に自分を決して含めてこなかった」点。これも既にそこの危うさを良しとせず、正面から描き切ってきたライダーの先人がいたこともあって、平然と、それも終盤になってギャグで流されてしまったのが期待外れと言わざるを得ない。
であるからして、メインキャラもゲストキャラも前に倣うかのように総崩れしていき、見どころになり得たポイントを無駄にしていく始末。御成とか画材眼魔とか、基本コミカルな雰囲気に適合していて上手くいけばオンリーワンとして味が出ただろうネタキャラだっていたのに……

それでも飛び抜けて唸った点は、同化の進んだコピーマコトを遂に本物のマコトと見分けられなくなった47話のカノンの「両方ともお兄ちゃん」という台詞回し。
それとライダーとしては、(本編視聴前からの印象もあってどれも気に入ってるんですが強いて言えば)Vシネマにおけるシンスペクターが好きです。デザインだけでなく、あの作品自体が本編よりは上手くまとまっていたことによる思い入れもあるし、シンスペクター自体のネーミングも上手。しかし量産型深海マコトの真実は衝撃だったなあ。

仮面ライダーエグゼイド

本放送当時、この辺りからはニチアサ実況の加熱がボクのTLにも流れ込んできていました。デザインの奇抜さでは響鬼すら優に越えてる印象。
いざ本編を視聴してみると、主要登場人物に総じて滲み出ている胡散臭さにぎょっとしたのが記憶に新しい。詰め込まれた推進力をいくらでも賞賛できるシナリオでありながらその側面を凌駕して、平成ライダーでは個人的に文句なくNo.1の怪作に位置付けられました。
その化身とも言える要因がゲームマスター檀黎斗……ではなく、主人公である永夢君。
最序盤からしてあまりにもシームレスに「天才ゲーマーM」へと移るその豹変ぶりは『OOO』映司に並んで只者じゃないと推察させるに足りていて。
心身共に健康に戻るのを患者の真なる完治とする永夢君の理想への盲信ぶりは、事実作中で幾度となく反論を受けたにも拘わらず決して変わることもなく。
『エグゼイド』が本格的に刺さった28話でも、ポッピーを救うためとは言え「自分を攻撃しろ」とゾッとするほど語気を強め、終いには39話で慈悲も見せずパラドを圧倒するあの迫力。
彼の姿が全肯定されてこなかっただけ作品としては上出来なんですが……
飛彩と大我が和解し、貴利矢とマスター黎斗が共謀し、ポッピーが本音を零し、ニコが精神的成長を遂げ、パラドが命の重みを知り、CR陣営が打倒クロノスを掲げ共闘していく中で、主人公である永夢君の薄気味悪さだけが全く触れられないのはとにかく異質と断じる他なかった。
況してこれがまさか映画でも番外編でも回収されないとは予想できませんでした。
その衝撃たるや、序盤におけるニコの描写不足や後出しされる設定の数々(バグスターウィルスの培養やリセットに対するセーブなど本作の題材を活かしたギミックは百歩譲っても、ポーズの中で倒されたバグスター云々やレーザーXのゲンムメタ性能はちょっと……)をうっかり失念しかけるくらい。

結果としてボクは “噂の小説版” を読むに至り、それを以てようやく永夢君に見えた不気味さを払うことになりました。ポッピーが永夢君を思うあまりマイティノベルXの攻略に失敗したり、マスター黎斗が永夢君や命という概念に対する自身の見解を語ったりといった部分も大満足。刺さり具合では第二波となった31話における永夢君とマスター黎斗の共闘や、44話のポッピーから永夢君への言葉などもより深みが増して見えるというものです。
これがもう少しでも本編に表出していたら、単純な好みないし推薦の意味では『OOO』『ドライブ』を越えて「555』にまで並んだかもしれません。それどころかあのメッセージ性を鑑みればむしろ永夢君の過去こそ本編でやるべきだったのでは、とも……

ライダーとしてはさほど言及したいことはなし。ボク個人の中ではあの造形が「意識しないとライダーにカテゴライズできなかった」モノなので……複眼の目立たなさがライダー全体に波及すると大きいんだなと痛感。
それを除けばポッピーは好きです。平成ライダーでヒロインが刺さったのは唯一だ。

仮面ライダービルド

印象を一言で言えば『平成ライダー』版『ドラゴンボール』。ボクは前作に浸かり切った反動で作中の虚実に結構懐疑的になってました。でもある意味それくらいで良かったかな。
主人公・桐生戦兎の専門分野である物理学、三都に分裂した日本と勃発する戦争、軍事兵器として人体実験の末に生まれ出る本作の仮面ライダー、(いつの間にか)宇宙規模に発展した戦闘と、前作に続き魅力的な題材を揃えながら、それらを上手く料理し切れなかった惜しい作品という印象。作中でフィーチャーされた学術部分って物理学的側面より工学的側面のほうが大きいのでは……
ただ、登場人物を魅力的に描くことに関しては本作のシナリオも決して他のライダーに引けを取っていません。超強大な力そのものだったエボルトに翻弄され続けながらも戦い抜いた戦兎、万丈、カズミン、幻さん、美空、難波チルドレン、三羽ガラス。レギュラーの人物に関する描写不足はこれと言って感じず、「ラブ&ピース」を胸に戦場を駆ける様にはなかなか心打たれるモノがありました。特に戦兎は『FOREVER』における先輩ライダーとしての風格にも納得。
ストーリーの謎部分も序盤から終盤まで絶えることはなく(早々でエボルトがラスボスだろうと分かり切っていたのに案外見れた)、それを下地とした上で一時的に戦兎や万丈まで取り込み際限なく強化を経ていくエボルトへの絶望感は見事の一言。
1話上げるとすればビルド初見の中で最初に衝撃を受けた29話でしょうか。スタークの指揮する交響曲第9番をバックに西都から侵攻してきたハードガーディアンが東都の街を破壊し尽くすアバンから始まり、更に拡大する戦いへの覚悟を改めて決める戦兎たち。その戦いぶり自体はもちろん、本格的に登場したベルナージュと合わせて各話脚本としても堅実に1つの核を成していました。
また、登場人物で1人特筆すると個人的におっさんライダーNo.1にもなった幻さんが好きかなあ。1話みたいなあけすけさも井上脚本ライダーでよく見ていてすんなり受け入れてしまったので、あとは40話で急に描写が突っ込まれた壊滅的なファッションセンスさえ無ければ……
まあ、シリアス極まりない展開の真っ只中にあってあの部分が晒け出されたのはnascitaのメンツに溶け込めた分かりやすい証でもありますし、浮いたネタ性だからと言ってそこまで嫌っているワケでもありません。

ビジュアル的には、ビルド基本のベストマッチであるラビットタンクが一番気に入っています。最終フォーム(最強フォームではなく。ジーニアスのほうはデザインがあまりしっくり来ませんでした)が直接の派生形態だったことももちろんとして、それ以上に忍ビルドのラビットタンクが見せた無双ぶりったら……

仮面ライダージオウ

平成ライダー20作目にして、アニバーサリーらしく祝われまくった「時空を超え過去と未来をしろしめす究極の時の王者」。
ここまでの振り返りで暗に示してある通り、ボクは元々本作が発表される前から気紛れに平成ライダーを見進めていました。それがこうして本気で20作をコンプリートしたいと思うようになったのは、言うまでもなく『ジオウ』の存在によるところが大きかったです。
久しぶりにリアルタイムで見たライダーゆえの思い入れもあり、やはり何から言えばいいか困るところですが……まずは「1年間本当に楽しかった」と一言。

自身に運命づけられてしまった最低最悪の未来を回避すべく奮闘するも、それは紛れもなく最低最悪へと近づく一歩一歩であり、それでいてやはり王様の素質が、そして未来を如何様にも変えられる力があったソウゴ君。その動きの読めなさには、最後まで夢中にさせてもらいました。
クールを気取っていても決して自他の情には逆らえず、どんな時であれ魔王ではなく人間としてのソウゴ君を見てしまうゲイツ君。滲み出る優しさと自分の生きる時代を変えようとする信念に板挟みにされて16話や28話、45話など何度も何度もソウゴ君と衝突してきた彼もまた、不器用ながら確かに王と並び立つ救世主の資質をもっていました。
自分の置かれた現実を見極めようとする意識が強く、自他に対して非情になれるがゆえに一人で背負い込むこともあったツクヨミ。ファイズフォンX1つで戦い抜いてきた彼女も、48話で満を持して変身できたのが示すように正真正銘の仮面ライダーでした。
ソウゴ君と『ジオウ』の物語を予測不能にする道化師を兼ねる狂言回しと思ったら、割合あっさり我が魔王に振り回される側に回ったウォズ。意外にも物語の清涼剤として、本編では徹頭徹尾ソウゴ君の忠実な家臣であり続けた彼の継承の儀は何だかんだで毎回心待ちにしていたものです。一方『Over Quartzer』は……

レジェンドの客演による見どころ、物語の訴求力も充分。
他ライダーとの抱き合わせでちょっと不満……と放送前に思ったのが、歴史改変で襲撃事件のなかった流星塾を絡めたり、不器用でも仲間思いなたっくんと信念のブレなさが変わらない草加を上手く描いたり、短時間でもでき得る限り原典の要素が詰め込まれたことでどこかへすっ飛んだフォーゼ・ファイズ編のファイズサイド。後年のスピンオフでさえなされなかった、オルフェノクの脅威が消失して反目し合いながらも共に生きていく2人の可能性が示されたのは素直に嬉しかった。
比奈ちゃんだけでなく映司までサプライズ登場したオーズ編。アンクが存在しなかった世界で皮肉なことに国会議員となる一方それでも変わらない信念を胸に抱く映司、職場こそアレだったもののデザイナーとして活動し作中では持ち前の怪力も披露してくれた比奈ちゃんと、アナザーライダーによる歴史改変という不可抗力を超えて尚志は曲がらなかった2人に、存在を否定されても存在感は否定されなかったアンクの影を確かに垣間見ることができました。
限りなく近い平行線の道を進みながら最後までぶつかり合い続けた紘汰と戒斗が、やはり交わることなくそれぞれの形で歴史の道標となった鎧武編。原典で決して全肯定されるまでにはならなかったそれぞれの姿勢はしかし、ソウゴ君とゲイツ君にとっても世界にとっても大きく運命を変えるモノとなりました。
運命と戦い続けてきた始が白ウォズの介入を遠因として再び変身したのを発端に、再び剣崎とのバトルファイトにまで発展してしまったブレイド編。その戦いから逃れられなかった剣崎、始、そして戦いに巻き込まれてしまった天音ちゃんがようやく運命に勝った瞬間、ボクは衝撃を受けつつも本当に感動しました。『剣』の歴史を全て受け止めたワケでもないアナザーブレイドが2人を人間に変えられたことに対してもう少し掘り下げが欲しかったのはともかく、当時のほろ苦い寂寥を全て越えたハッピーエンドの喜びは一入。
料理人としての修行から一時帰国した翔一君が、力をもっているかどうかなんぞ関係なしに健在の笑顔を見せてくれたアギト編。失われた自分の記憶に思い悩むツクヨミを自身の経験で導き、自らも再びトリニティフォームとしてジオウトリニティと六位一体の戦闘を演出した活躍ぶりは、当時も同じようにその笑顔と偉容に惚れ込んだ思い出を再び甦らせてくれました。
鬼になることに固執するあまり時に不正まで働いた桐矢京介が、師匠なる存在とは何たるかを解するまでになった響鬼編。原典での目に余る行動から、改心してもきっとそう簡単には認められないんじゃないかと個人的に踏んでいた彼でしたが、鬼として、また師匠としての成長を経て姿まで響鬼を継承したことに溜飲が下がりました。逆にトドロキさんがこの一件まで弟子を取ろうと考えられなかったほど、ザンキさんの影響から師匠の重みを知りすぎているのも鮮やかな対比。
ワームを乗せて迫りくる巨大隕石をきっかけにマスクドライダーたちの思惑が今一度交錯したカブト編。嘗てガタックとして戦っていた加賀美の隣には、当時共闘を通じてできた真の友であり、そして自分より上を常に行っていた天道がいました。カブトゼクターに認められなかった過去だけでなく資格者である天道への敗北感を明かした加賀美がカブトに変身したのは、天の道ではなく自分の道を歩んできた加賀美が新たな戦いの中でその蟠りや拘りを完全に振り切った(一度限りの)印なんだ、と視聴後は思えています。他方、13年越しに死亡が明言されてしまった影山や、ワームとは言え弟をもう一度失い救われなかった矢車への切なさもやはりあるにはあり。38話の決着時における『カブト』お馴染の劇伴『ライダーキック!!』には、奇しくも「弟がワームだった」共通点のある構図で同曲がかかった原典の4話、加賀美が苦悩の末自身の弟と決別した際と同種の感傷を引き摺っていました。
自分には物語も理屈もクソもないと開き直って宣いそうな勢いをまざまざと見せつけたディケイド勢。ドライバーが進化したり、オーロラカーテンを使い倒したり、14話でゴーストウォッチを使用不能にしたり、47話では主人公ライダーのジオウにすらカメンライドしてしまったりなどやりたい放題、しかしいざとなればソウゴ君に説教をかまし自分の命を捨ててでもツクヨミを庇う姿はまさに歴戦のライダーといった風の士。同じくドライバーが進化したり、トリニティへと変身できたソウゴ君にその先の指針を伝える一助ともなった反面、未来ノートにアナザージオウIIウォッチに時間停止能力に士の命とこちらは懲りもせずお宝収集を第一とし続けるトリックスターな海東。時には一周回って大爆笑し、また時には素直にカッコいいと感じさせる2人の活躍はただただ見ていて惚れ惚れしました。何と言ってもカメンライドジオウは本当に胸熱だった……2回目……

そんな『ジオウ』でボクが一編ピックアップするなら、これはもう絶対にアナザーリュウガ・ジオウII編です。
記者として、またライダーとして、善人悪人問わず様々な人物と向き合ってきた真司。どこまでも真っ直ぐな愛すべきバカであるハズの真司も、やはり負の感情が心の底に潜んでいた。『EPISODE FINAL』でもその一端を巡って鏡の中の自分と真正面から対決しましたが……原典で龍騎自体の歴史がリセットされたんじゃそこだけはどうしようもなし……
されどリセットされた世界でも、記者として活動する真司のそれは筋違いな恨みに形を変えて再発現し、真司自身はそれを受け止めようと覚悟していた。ソウゴ君もそんな真司の姿に感化されて自分の負の感情を受け止める覚悟をし、魔王への一歩を着実に進んだ。その選択の影響もまた非常に大きくて、アナザーライダーをライドウォッチなく倒す力と息を吸うかのごとく時間を戻す力を手にしたソウゴ君に、ゲイツ君は責任感を、ツクヨミは危機感を覚え、ソウゴ君は孤立の方向へと向かっていく
目に見えて変化するライダーサイドの相関図は、改めてソウゴ君たちが合流し結束を深める28話まで『ジオウ』の物語を強く揺さぶりました。そういう意味でも、レジェンドの存在と物語がここまで結びついている意味でも、この一編は非常に大きかったと思うのです。

思えば劇場でライダーを見たのも、本当に久々だったなあ。これだって『ジオウ』があってこそでした。
「視聴者と平成ライダー」を描いた『平成ジェネレーションズFOREVER』。正直に言うと『MOVIE大戦』シリーズをクロスオーバーとしてはさほど意味のない物、ファンサービスくらいと見ていた身だったので、その系譜である本作も完全に「リアタイで見てるし一応行っとくか」レベルのノリで見に行ったのが、予想以上の完成度だったので驚嘆したのを昨日のことのように覚えています。考えてみると『ジオウ』自体がクロスオーバーで1年ファンサービスするみたいな作品でもあったので当たり前と言えば当たり前なんですけど。問答無用で他者を屠っていく「究極の闇」が平成時代最後の大ボスとして君臨した(現実の元号ならクォーツァーとアナザーディケイドは令和に入ってから!)のももちろん、特異点や記憶こそが存在の証明になる理論などいち平成ライダーである『電王』のファクターが良太郎ごと出張ってきてメタ構造の語り口に筋をもたせた事実が、何よりもこちらを唸らせてくれました。……まあティードに関するバックボーンの描写不足があったり、フータロスだけ本作の構造で言えば「存在を肯定されたフィクション」の枠組みからこそっと外れていたりもする辺りはご愛嬌。ゲストキャラだししょうがないか。
「時代としての平成と平成ライダー」を描いた『Over Quarter』では、そういった理屈を全て視聴者の世界に投棄し、強引にデコボコな平成を肯定しにかかった潔さに、感慨深い爆笑を体験しました。そういえば『FOREVER』に対して全く前情報を仕入れていなかったボクが予想したのはまさにこんなノリだったっけ。本編や『FOREVER』で確かな立脚点を獲得したソウゴ君が、ライダーになれなかった者の叱咤を受け、平成ライダー20作のレジェンドを、そこに収まらなかった数多のライダーを、剰え自分を含めたライダーたちの瞬間瞬間を受け止め切ってオーマフォームに変身する展開の熱さには高ぶること頻り。散々言ってはいますが、本当に最高な頓痴気映画でした。

そして『ジオウ』最終話。こっちは結論から言えば、ボクとしては決して評価できる代物とは言いがたかった。
元より『Over Quartzer』を除けば中盤までずっと、設定を後出ししてでもタイムトラベルモノの理屈づけで物語を描いてきたのが、終盤に来て突然『ジオウ』の物語そのものが『ビルド』どころか『ディケイド』的な複数世界論を下敷にしていた流れになる大規模化自体、脚本のブレを感じるところで。
件の最終話にしても、ツクヨミを基軸にした世界救済計画が破綻してからの方針が無策にしか見えない、結局最終的には覚悟だけで変身できてしまったオーマジオウ、ライダーの存在が世界の存在を担保する『ジオウ』のラストで生まれた新しいジオウ世界になぜライダーの存在しない可能性をウォズが匂わせたかといった粗に、最後まで明かされなかったウールやオーラの出自、時間跳躍なんだか世界線跳躍なんだか覚束なくなった劇中のタイムマジーンによる移動など描写不足の数々。
また、世界の破壊者ですら当初は知らなかったツクヨミの正体や元のオーマジオウ未来についてなぜか一定の知識を得ていたミハル君、スウォルツによるバス事故以降アナザージオウIIとしての退場まで救いのないままだった加古川飛流も個人的な不満点としてあります。せめて後者は本当にきちんと描いてほしかった……最後に5人とすれ違うくらいでも良かったんだけどな……
とは言え、短いながらも美味しい活躍のあった仮面ライダーツクヨミと、禍々しく悍しい変身を遂げて歴代のラスボスを一撃で葬っていくオーマジオウの「最強と比しても桁外れな最強」ぶりには顎が外れたの何の。そりゃスウォルツごときとか言っちゃうわ。
加えて元のオーマジオウと違い仲間をもった現代のソウゴ君も、アナザーディケイドの凶行により孤独になる道から逃れられなかったワケですが、失った仲間を理由として最後の最後にオーマジオウのまま進む未来を完全回避した点も鮮やかな落としどころでした。その辺りを考慮したら、元のオーマジオウに唯一ダメージを与えたのがトリニティだったのも腑に落ちるもの。グランドジオウもオーマフォームもオーマジオウの系譜である(前者はスウォルツに「オーマジオウもどき」と評されていました)からこそ、きっと然るべき歴史なのはトリニティなんだとボクは結論づけたい。

こんな感じで好き嫌いや巧拙を問わず勝手気儘に語ってきて思うのは、何だかんだ言ってやっぱりジオウが本当に大好きなこと。
前段で終盤について書き殴ったようにボクは決して名作だったと言うつもりもありませんが、それでも平成ライダー20年の歴史を逃げずにしっかり扱った点は買いたいし、本当に圧巻としか表現できないほど気に入った一幕や上手い一幕も最初から最後まで見られたので。
だから『ジオウ』に今後の展開があるなら(既に発表された『ファーストジェネレーション』『NEXT TIME』も)当然更なる謎の解明を目的として見る気はありますが、別にそういうのはなくたって良いとも思ってはいたり。
欠けのあるベストではない〆方だと制作陣も話していることからスピンオフは途切れないんでしょう。それでも「『仮面ライダー』における平成も終わったんだからもっと思い切ってバッサリ区切ったっていいじゃん?」みたいな晴れやかさがどこかにあります。
それくらい、全体的な満足感は高い作品でした。

終わりに

それにしても、書き始めてみると本当に山程言うことがあったなあ。文字数がここまでで実に22kオーバー。
一応8月中に上げる算段だったのに色々あってダメでした。でもそれくらい思い出ができていて、感想が浮かびまくってしょうがなかったのも事実です。『ジオウ』最終回にしたって実は想像以上に「可能な限りの理詰め」で描かれていたことに、欠落をちゃんと明確化しようと思考している段階でようやく気づいてきていました。
ツイッターでは書き切れそうもないことをどうにかこうにか纏めていくのって疲れたと同時に楽しくもあって。
こういうのは根本的に自分のために書いているおかげか、ハマるとどこかで執筆が止められなくなるんですよね。昔も今もどこか変わらず童心を擽られるコンテンツであるならば尚のこと。

そんな『平成ライダー』に一区切りがついた今、ボクもようやく最後の心残りを蹴飛ばして100%良い気分で令和に進んでいくことができそう、と申し上げて今回は筆を置くことにします。
ありがとう。時代を駆け抜けた平成仮面ライダーたち。

Written on September 4, 2019