ボクが気に止めた作品の見方:『ステラのまほう』編

いよいよ今週末は、C96ですね。
今週末か……え、今週末???

ここ数年「週末がコミケ」みたいな文字列を見ると例外なく「もうそんなに近いんだっけ……」となる。(元ツイート)

体感時間がどんどん圧縮されていってるのがちょっと虚しい。
そんな今日この頃ですが、今回は『ステラのまほう』という漫画とボクのお話をします。

尚本作の2次創作SSで、C96にて頒布される藤秋すばるさん主催の百武照合同に参加させていただいていますが、それにまつわる話は既に昨日ボク個人のツイッターでやっているため、当記事での内容に関する言及はほぼありません。
少なからず交流のある方からこちらが名前を勝手に知っているだけの方まで、多くの精鋭が揃っているようですので、これをご覧になった方はぜひお手に取ってくだされば。
ボク自身も他に参加されている方々の作品の中身はシャットアウトしていて、実物を見るまで楽しみにしています。

……こうして書いてみると、やっぱりステまに対する今のボク自身の向き合い方って不可思議な気がするんですよね。

そんな作品の話をどうして今しようと思ったのか

これがまさに今回の記事の核です。
ステまは好きだけど、普段読んでる時の熱量や理解に関して言えば、客観的に見てボクより上の人たちがゴマンといる。
普段の交流もステまの占める割合はそう多くもない。
作中のキャラを悪しざまに言うことだって結構あるどころか、それ以上に作品自体を複雑な目で見ている部分がある。
況してツイッターでも再三言っている通り、百武照は現状でもメタ的に苦手なキャラの1人。
こんな作品に関する話をどうしてするのか。
どういった経緯で、苦手なキャラの合同誌に参加したのか。

端的に言えば、これでも『ステラのまほう』を気に入っていることに違いはないワケです。
面倒な立ち位置にいつつ、何だかんだで考察ができればそれに応じた2次創作ができてしまうくらいに。

「面倒な立ち位置」とはどんな意味か

またあるいは「複雑な目」ってどういう目なのか。
これは掻い摘むと、作品の完成度やボク自身との相性に関する問題。
この項にはご覧になる方によっては気分を損ね得る内容もあるかと思いますので、否定的意見を見たくないよという方は次の項(一方でステまのどこを気に入っているのか)へお進みください。

完成度の問題は、例えば池谷乃々周りの話。
(現時点では単行本に収録されていない回の話で申し訳ないですが)たまちゃんととある一件で衝突した次の回、池谷乃々の過去の説明に、自分のスタンスや行動を振り返る池谷乃々自身の意識ではなく、感情移入をさせるためのものであろう展開自体が介入して事細かすぎる説明回になってしまっているんですね。
本人の意思を汲まずにこういう描き方をするのは、登場人物本人が自発的に動いている実感を阻害する悪手です。
それがしかも、なまじ過去を思い返すという本人にとっても受け手にとっても重要な局面であるために露呈している。
だからかえって逆効果になり、キャラクターにイマイチ乗り切れない。
同じような展開主導の描き方は、6巻収録回でそこまでに脈絡もない状態から放り込まれた、裕美音からたまちゃんに向いている「後悔」にも言えることです。
序盤からイジられる形で黒歴史に触れられていたあや先輩や、(書き下ろしであることを考慮すれば)7巻収録の椎奈先輩ママのお話のように、丁寧な描かれ方のエピソードもあるだけにもったいなくて……

で、お次は相性問題のほう。
「百武照がメタ的に苦手」とは、「そもそも百武照さん本人が自身の内面を誰にも明かしていない一方で、(もったいぶっているかのように)折に触れて語っている都合上、いつかは真相が明かされると分かっている」のが1つ。
更に、そういった「今後の展開に関わってくるだろうと見える真相を考察するのはボクにとってはつまらない」のが1つ。
アニメ化範囲を読んでいた時のボクは、似たようなことを藤川歌夜ちゃんにも感じ取っていた覚えがあります。 それだけであればいざ知らず、とりわけ後者に関しては以前「その内明かされるので覚悟してください」といった趣旨のお達しまであったワケです。
たった1%でも語られるのか不確かなままだったならまだしも、0%になってしまえば探求したところで答えがはっきり決まっているワケで。
語られるか定かでなく正解のない物を考察したがるあまのじゃくには、百武照さんの振る舞いや作外の事情は、本当は頗る相性が悪いハズだったんです。

一方でステまのどこを気に入っているのか

そもそもボクとステまの繋がりは、既に原作のファンだった方からのオススメをアニメ放送直前に受けて、原作を読んだのが始まりです。
当時ボクは物書きになって1年強で、ボク自身が2次創作をする上でのスタンスで迷走している時期でもありました。
ただでさえキャラクターの体で創作における多様な思想・主義を提示してくれる作品を、生みの苦しみと本格的に向き合う時間の多かったあの時のボクが気に入らないなんてあり得なかった。今ではそう思います。
その役割は今尚、既に自分のあるべき姿を見出せているボクの中でさえ充分に果たされてもいて。
エンターテイメント性豊かで愉快な群像劇として、大いに楽しめているのも事実なんです。

他にも気に入っている由縁はあります。というのは、ここに至ってもボク個人の好みな人物が2人いまして。
1人は関あやめ先輩。
前項でもほんの少し触れましたが、彼女は黒歴史もちであるのも相俟って過去のエピソードが要所で断片的に語られ、自然に受け止めやすい話運びに恵まれた人物です。
例え悪く言えばテンプレであるとしても、それだけにステま本編では比較的感情移入しやすくもあるワケ。
また、ボクっ娘だった(+Iri§先生を加味すれば現在進行形とも言える)点、弟がいるおかげで面倒見も良い点、たまちゃんをして「先輩がいなかったら部室が大変なことになりそう」と言わしめる点、将来を約束された幼馴染である椎奈先輩や時に仄暗く威圧的な表情を見せる歌夜先輩からも信頼を寄せられている点……最後のは何だ?
とにかく、ボクに刺さる属性が数多くあります。
そしてもう1人は鶴瀬まつり。
池谷乃々関連での異様なポジティブシンキングと自分を客観視しない危うさ満点の行動で、初登場の頃から話題沸騰のようですが、こういうキャラは話を牽引し得る側面をもってもいるので実は結構注目株だったりします。
何より思い人に向ける感情のブレなさと、登場人物個々を見た場合百武照さんにも匹敵するんじゃないかと想像してしまう行動力の高さがまあ買える。
その2つを武器とし、思い人を振り向かせるためのやり方を検討した上で再始動した最新話の展開は結構グッと来ていたりします。
まあ、未だにストーカーのような危険極まりない行動も散見されるので、その努力が幸せな形の実を結ぶかどうかは依然余談を許さなさそうですが……

こんな感じの向き合い方でいるボクが、百武照さんの2次創作SSを書いた理由は何なのか

改めて端的に言うと、ボクは何だかんだで『ステラのまほう』を気に入っているワケです。
されど百武照さんは「メタ的に苦手」。
こんな性分で百武照さんの2次創作SSを書くに至ったのは、偏に「考察の成立は好き嫌いと別問題」だから。

つまるところ、これに関しては考察欲求があったのではなく、ただすんなりと考察が浮かんできただけに過ぎません。
奇妙な現象だなーと書いていて自分でつくづく感じますが、まずもって望んだからできた考察がボクの場合そう多くなく、ふと降りてきた考察のほうが多くあるんです。
ただ、何にせよ考察ができたのならボクが執筆をする理由には充分。
そんなこんなでボクは百武照さんのSSを「2本」書くに至りました。
ちなみに、その2本のうち没にしたSSはpixivに投稿してあります
興味をもたれた方は、こちらもぜひ。

……あれ、書いてたら結局合同誌以外の宣伝にまで辿り着いてしまった。
まあいいか。

Written on August 6, 2019