受け入れられた2次創作、受け入れられなかった2次創作

「物事を見る上では、なるべく多くの視点を持って客観的に捉えよう」。
ボクは創作に限らず、こういう考え方を常に意識しています。
これは偏に、どんな見方にも寛容でありたいという意志に基づいているんですが、だからといって実際には全ての見方を許容できているワケではないのも事実で。

2、2、2

ボク自身が2次創作を受け入れられるかどうかの話をするにあたって、2次創作をカテゴリ的に2分割する2つの視点が肝になってきます。

1つは「登場人物の動きが作り手の思考重視か、それとも嗜好重視か」という視点。
この目線は作り手の端くれであるボクにとって非常に大切なものです。
というのも、比較的長期に渡るであろう1次創作を物語の面から支える義務を持った身にとって、登場人物に背景を付与するのは嗜好であってはいけないから。
物語の開始までに積み重ねられた描かれないエピソードがもし嗜好に基づいた物だったとしたら。
その作者がよほど高等な作劇スキルを感覚的に使えない限り、本編を展開させていく段階でバックボーンと作中での行動が不一致を起こして物語は破綻したり、そこにボロが出たりします。
そんな出自を経た物語は、少なくとも物語として評価されることはあり得ません。
(ではどうしてそういった物語が評価・許容され得るのかというと、それは「共感」なる物のおかげだろうと考えています。ただこちらに関しては脱線が過ぎるので今回は触れずにおきます)
1次創作において登場人物に嗜好をぶつけることができ得る例外は、おそらくパーソナリティを決める段階だけでしょう。

個人的な立場の話をすれば、1次創作ではボク自身がキャラ原案というワケではないので、嗜好を利用できる機会は更に限られます(というか事実上ない)。
ボクは考えることが好きな根っからの考察人間なので、この立場に全く不満はありません。
それどころか、まだまだキャラメイクの経験に乏しいボクにとってはうってつけのポジションだと考えているほどです。

とまあ、登場人物の思考重視で物語を展開していく必要性としてボク自身がこれまで自覚していたのは、「登場人物の思考を尊重したい」という感情的な理由が中心でした。
そこに根差す、ある程度客観性を検討できる理由が漸く見えてきた形です。
このような理由を踏まえれば、登場人物を嗜好に寄って動かすのは尋常ならざる難易度の高さを誇る高等テクニックであり、膨大な知識と経験がない限りほぼご法度と言っていいレベルでしょう。
だから許しがたかったワケです。
どれだけ高等な技術を要するテクニックかもおよそ知らない、というより知ろうともしないであろう。
そんな2次創作者が、欲を満たすという手前勝手な理由で既存のキャラクターを嗜好により動かすことが。

そして、2次創作を受容できるかという命題を更にややこしくしたのはもう1つの視点。
「世界観を作品として切り取るためにフォーカスされた視点から見て、物語がハッピーかバッドか」という、またしても感情的なものでした。

バッドエンドは大嫌い

端的に言えば、ボクの場合はこういうこと。
それが1次創作として指し示された物語の終着点ならば、ボクも作品として許容することはできるでしょう。
提示された世界観の原点となる世界線が、1次的な世界線だから。
2次創作は、須らくその世界線を基になされるべきだから。
ボクの私見ですが、作品を捉える上で嗜好を重視する人は創作(特に長編エピソード)には向いていないだろうと思っています。
それは前述の通り、物語として破綻のない作品を創出する難易度が高すぎるからです。
実際のところ、あからさまな破綻が発生するほど嗜好依存の創作者を見たことはないんですけどね。
どちらにせよ、ちょっとでも破綻があった時点で受容可能性は著しく低くなるワケですが……

ボクが受け入れられなかった2次創作の正体は、「作者自身の欲で登場人物をバッドエンドに閉じ込める」という物でした。
前項で提示した2つの視点の両方でボクとズレのある2次創作が受容できない物だということに、ボクは漸く気づくことができました。
1年以上、比較的長きに渡って残存し続けた最後の呪縛。
その正体と根源を突き止め、一定の解釈を与えてボクなりに実体を掴むところまで辿りつきました。
これで、ようやっとボクも呪縛から脱することができそうです。

受容できなかった2次創作を、許容さえできていなかった結果

余談です。
事の発端は、一昨年末に触れたとある2次創作でした。
作り手にとっての好みを担保する目的で生まれたメリーバッドエンドからバッドの衝撃を貰ってしまったボクは、昨年1年の間ずっと迷走を続けていました。
結果として、創作の開始点をも考察にすべく努力していたハズのボクから、その例に当て嵌まらない(言うところの「最悪のプロセス」を経た)2次創作が山程生まれてきてしまいました。
当然それらをそのまま物語に纏めるのはボクのポリシーに反するので、何とかボク自身の考察を絡めながら創作を続けてきました。
その総決算として、またしても自身最悪のプロセスを踏みながらも嘗てない満足の下で完成したのがこのシリーズでした。
当シリーズを書き終えた時「やっと(呪縛から)解放された……」と思わず一人言を零すほどでしたが、尚も引っ掛かりを払い切れず。
それが(問題の2次創作を許容できていなかったからだ)と気づいたボクはまた考え続けて、やっとのことで一定の水準に達する結論を見つけるに至りました。
自分の苦しみをこの作品に注ぎ込んでしまってから、更に客観視(あるいは視点の増加)に拘るようになっていましたが、
苦しみに苦しめて、苦しみ抜けて良かったなーと漸く心の底から思うことができました。

今回は以上!

Written on February 26, 2017